本題に入ろうとしていたところに、伯母さんから電話が来たので、思わず風邪が治らないイライラを、担当主治医への悪口にして伯母さんに愚痴ってみた。

ちょっとすっきりした。


精神医療で、今まで一番お世話になったと心から感謝し、尊敬しているのは、地元で私をまっしろい部屋に閉じこめた(笑)O院長先生と、今通っている病院(札幌)の担当看護士のYさん。


O院長先生は、本当に心優しく厳しい方で、泣きながら延々と「出せ」と訴える私に向かって、切々と「母親から自立しなさい」と説いた方。

当時はまったく意味がわからなかったけれど、今となってみれば、なんと先取りなお説教。今、身に染みます。

地元の病院はずいぶんと古風な施設とやり方だったけれど、今は新しくなったみたい。

アルバイト時代の同僚である友人が今はそこで働いているというのだから、頑張って欲しい。

いくらなんでも、私みたいなやつの入浴介護を、友人がやらされるようなことがないことを祈る。

あの狭い街であれはキツイでしょう。


Yさんにはこれからもお世話になっていく気満々です。

統合失調症で「どかーん」と爆発した後の反動のように訪れる無気力時代に通い始めた今の病院。

何もやる気が起きない私でも、Yさんの明るさ、ユーモアはあっという間に好きになり、Yさんと話がしたくて通っていたと言っても良いくらいでした。

順調に自力で職に就いた私は、「デイケア卒業」なんていうことも持ちかけられましたが、「仕事」「デイケア」しか世界を持っていなかった私は、Yさんに会えなくなるのがなんだか淋しくて、ずっと辞められずにいたのです。

今回、初めて「調子を崩した」という私を目の当たりにして、Yさんはうろたえていました(笑)が、誰よりもあっという間に、「わかってくれた」気がしました。

やっぱり、長い期間通い続け、話を聞いて貰っていただけで、築いてきた信頼関係があるのかな、と私は嬉しく思います。


それに比べ、母はなんとまぁ、めちゃくちゃなことか。


私の母はとても頭が良く、気持ちが若く、気力・体力共に非常に尊敬できる人間ですが、駄目なところもそれはもうたくさんあり。

何が駄目かというと、その「駄目」なところを、「娘も同じようにできない」と強く思いこんでいるところなんですよ。


自分ができて娘ができないところは、「だからお前は駄目なんだ」といいますよね、当然。わかります。

でも、私が母の駄目なところに気付いて指摘すると反射的に「お前もできないだろ」というのです。えぇえぇー。

時間が経つと認めるっちゃ認めるんですけどね。



ねぇ、お母さん、パニック時、私たちの行動はあれだけ異なっているんですよ?



「ちょっと眠れなくなって調子が悪いかも」と伝えた時、札幌までわざわざ来てくれてありがとう。

でも、あれだけ「たいしたことないから、落ち着いてきてね」って言ったのに、1時間半遅れてきて、第1声が


「鍵、落とした」


って(・ω・)……何??


「どの鍵?」「どこまであったの?」って、私は優しかったと思うよ。


「だから! あんたの家の鍵と車の鍵!」


Σ(゜□゜)えぇぇええ   っていうか、「だから」って何?


「だから! 乗るまであったんだってば!」


Σ(゜□゜)えぇぇええ   だから、「だから」って何?


優しい伯父夫婦の力を借り、地元にて確保された鍵に安心。

札幌で落とすほどの致命的なドジはしないところがまた、母の偉大なところなのです。


しかし、思うでしょう、誰だって、普通に考えて。調子悪い、ってこんなにアピールしているのに。



お ま え な に し に き た ん だ … ! ! 



とね。ね。ね。


当時リアルタイムでツイートしましたが、自分ちのトイレで泣きましたとも。

そして、母はトイレまで開けに来ましたけれども。


母はね。もう、距離感がホントに無いんですよ、まったくもう。




とまぁ、ちょっと熱く書きましたけれども。


私は、昔から母が大好きなのです。

申し訳ないけれど、父よりもたぶん、好きなんです。


けれど、私は父を亡くして狂いましたが、母を亡くしてもたぶん狂わないと思うんです。


でも、できるだけ長生きしてください。


まずはゆっくりと順番を守ってください。


誰も住んでいない廃屋が自然に朽ちるのを見たくないからって、雪下ろしに屋根に登らないでください。


うっかり食べ物を炭にするくらいガスを長時間消し忘れるとか、絶対にしないでください。


時間を守れないなら、いっそ遅刻してもよいから、無駄にスピードとか出さないでください。


焦ると集中力が研ぎ澄まされていたのは、もしかして昔の話なんじゃないですか?


それから、後から反省するくらいなら、是非、その瞬間にもう少し、心のゆとりと、思いやりを忘れないでくださいね、お願いします。





さてさて。


自分の力が及ばない分野は、天国の父にでも祈ろうと思います。


私は、きっとかなり父親似だと思うんだ。

独り言の延長みたいな気分で自分のためだけに書いていたこのブログが、ひょんなことから知り合いにバレてしまい。

人に見せるために書いたものだったのにいざとなるとどんな顔してよいのかわからなくなってしまいました。

あれだけ「上手くつきあえる」と思っていた「病気」も、要するに「調子が悪い」という症状をビシビシ感じる状況になってしまいました。


というのは、前置きという名の「言い訳」なのですが。


ひどいところでぶち切れた「3日坊主」状態のこのブログですが。

もともとは、「読んで面白い(興味深い)もの」を目指そうと思っていたものであり、「嘘」は書きませんが、明るく、哲学的に続く予定だったんです。


それが、8/27という、またも「仕事」という名の大きなストレスが大きな転機を迎えている頃。

あれを書いた私は、「職場でめそめそと泣く姿をマスクで隠しながら、11月末で退職する」という。

ブログどころではない生活を送るうちに、ブログのことを綺麗さっぱり忘れてしまっていたのですよ。


8/27は、法事で実家へ向かうバスに乗るまでの間にアレを書きました。

こつこつ頑張る、とか本当にできない残念なやつです。


さて。

このブログも、知人を中心にかなりの範囲にバラしてしまったので。

せっかくだから、当初の目的通り、病気のことについてつらつらと書いていこうかなぁと思います。


私は、かなりの「合理主義」「現実主義」「理論派」なので、めっちゃ哲学的になるかもしれません。

しかし、唯一恋愛にだけは相当なロマンチストだということが最近判明しましたから、

どんなことを書いていくかわかりませんし、そもそも、継続して見てくれる人がいるのかわかりませんけど、

ほそぼそと書いていこうと思います。


そんなわけで、前置きはいったん終了します(*^△^*)

自分がどんどんおかしくなっていって、当時の職場でめちゃくちゃな言動をして、

家に帰って眠れず、たぶん幻聴をきき、たぶん幻覚を見て、妄想の世界の主人公になって、

地元の病院に連れて行かれたところまで覚えてる。


で、気付いたら、私は四方が真っ白い壁で、ちっちゃい小窓だけの部屋にいた。


約1週間経過してた。


こんなところ気が狂う!と思って、絶対明かない重たい白い扉を

ガンガンガンガン叩いて「出して!出して!」って叫んだことを覚えてる。


いやいや、狂ってたから入れられていたんですけどね。

私、「殺される!」って一生懸命、思ってたし、言っていた。


それが、5年前のこと。


2005/12/31の早朝、朝5時すぎに帰宅するほど、その日は長時間働いて、

早起きの両親はすでに食事をしていてた。

すぐには寝ず、何を話したか忘れるような会話を両親として、私は2階の

自分の部屋へ寝に上がった。

父は入れ違いで外へ雪投げ(除雪)へ言ってた。相変わらずの薄着で。

外はホントに、めちゃめちゃ寒かったのに。


布団に入って、うとうと、ってした頃、階下から母の声が聞こえた。

私の名前を呼んでるみたいだけど、最初はすごく眠くて、何だよーと思った。

けど、よく聞くと、尋常じゃない叫び方だった。

飛び起きて、1階に降りたら、母が聞いたことないような声で叫んでて

洗面台の前に、ドアがとても邪魔な位置で、斜めに父が倒れてた。


顔色が異常だった。


生まれて初めて、「血の気が引く」っていうのを体感したと思う。

パニックになっている母に、「救急車!」って叫んで、自分は父の顔に触れた。

ひんやり冷たかったをはっきり覚えてるけど、めちゃくちゃ寒い外から帰ってきたせい

だったのか、今はもうわからない。

人工呼吸しようと思ったけど、母が119番に上手く説明できてないのが聞こえてきて

私がやればよかった、と思いながら、中学の頃習ったやり方で人工呼吸を始めてみた。

母が戻ってきたから、心臓マッサージしてもらって、私が人口呼吸をした。

めちゃくちゃだった。

母に、「5回やったら止めて!」っていくら言っても、母は押し続けてしまって、

「止めて!!」って怒鳴りながら、人工呼吸した。


救急隊員が来るのがものすごく長く感じた。

実際は全然、遅くなかったはず。

12月31日、めちゃくちゃ寒い日だったけど。


救急隊員の中に、隣の中学出身の知っている同い年の男の子が居た。

「あ、○○くんだ」と思った。

そこからは、全部、救急隊員の人たちが、父の大きな体を狭い空間から

担ぎ出して、ちゃんとした心臓マッサージをしてた。酸素マスクをつけてた。たぶん。


今思うと何故そうしたかわからないけど、母だけが救急車に乗って

「おねぇちゃんは家で待ってて!」と言われた。そう言えば寝間着だった。

素直に従ったけど、ふと、「待ってどうするんだろう」と思った。

出かけなきゃ、だから、お風呂に入らなきゃ、と風呂に入って、あがって、

すぐに出て、「あ、妹に電話しなきゃ」と気付いた。


札幌に住む妹に電話した。まだ朝7時前だったはず。

寝起きの妹に「お父さんが倒れて、お母さんと一緒に救急車に乗っていった」

と告げたら、「はぁ!?」って言ってた。

私が妹の立場だったら、とは、想像もしたくない。

「また連絡する」って電話を切って、車で30分弱、隣の市の病院へ向かった。


付いたら、救急の病室っぽいところへ案内されて、付くまでに何だか薄々、気付いていた。

だって、何かが継続して行われているなら、こんなところには居ないよな、と思った。

母が私を見て、涙声で


「駄目だった…」


って言った。あぁ、やっぱりか、と思いながら、私は変なことを思った。


どうしよう。こういう時って、どうしたらいんだろう。泣けばいいのかな。


と正直、思いながら、声をあげて泣いてみた。

母が私を抱きしめて、「泣くんじゃない!」って意味のわからないことを言ったけど、

とりあえず、私は声をあげて泣いてみた。


悲しいとか、つらい、とか、そういうじゃなくて、ただ、「なんなんだこれ、現実か!?」と思った。


あぁ、妹に伝えなきゃ、と思って、やっと電話をしたとき、妹はすでに帰ってくる準備を始めて

いたみたいだった。

ホントに、逆の立場だったら、とか、想像したくない。


父の死因は、医者に「わからない」と言われた。

「解剖すれば死因がわかるかもしれませんが…」と言われ、母と2人で拒否した。

急死だったので、実は警察も関わった。

当然だけど、事故ですらない。


めちゃくちゃ寒い外で薄着で雪投げ(除雪)して、暖かい室内に入って、

お風呂に入ろうと服を脱いでる途中で、脳か、心臓か、体に急激に負担が

掛かったことが、たぶん、原因。


結局、心臓だったのかな、と家族で考えた。

そういえば、父が亡くなったすぐ後に「メタボリック」って言葉が流行りだしたな。

父はそれだった。