2010年9月30日 深夜12時 日本で初めて広域ラジオ局のRadio-iが停波した。昨夜は、わが家では、家族4人がラジオに耳を傾けた。ネットは5万アクセスで繋がらない。Radio-i は、約10年半、国際放送として多言語放送に取り組んできた名古屋圏の第三世代FMである。私のワイフをはじめ、職場・仕事関係の方はだいたいこのラジオを聴いていた。大人の、少し知的なFMラジオがないからである。

事態は名古屋に留まらない。今年にはいり、関西の国際放送も、FM801参加で、別の文化のラジオ局として再スタートした。これまでも、コミュニティFMでは会社の解散が結構ある。名古屋市内のコミュニティFMである、FMだんぼ、シャナナFMもいまはない。シャナナの流れを組むコミュニティFMが一局残るだけである。だが、県域放送が停波するのは日本初。そもそも新聞で報道されて「停波」という言葉をあるのを初めて知った。

Radio-iの倒産は、何を意味しているのだろうか?

・ラジオその自体が聴かれなくなってきたこと(若い世代は聴かない)
・音楽文化の消費自体が、若者世代の減少に伴い産業的には縮小している。
・音楽は、レコード・CDを所有するものではなく、参照しダウンロードするものになった。
・Radio-i が得意としていたジャズは、今日でも日本ではマイナーな高級文化で有り続ける。学生コンボの部活やサークルは、軽音楽・ロックなどに比べればあるかに少ない。
・ラジオは、音楽のためのメディアではなく、パーソナリティの語り、つまり人の声を聴くメディアになってきた。
・2004年ショックは、ラジオの広告費がインターネットに凌駕された年である。その後、2007年、出版がインターネットに凌駕された。いまや、テレビもその独善的地位を失いつつある。
・ラジオのパーソナリティに癒されなくても、インターネットのコミュニケーションのなかで、われわれはいくらでも癒やしコメントや、ケアしてくれるコメントを調達できる。
・ラジオという公的空間のもつステイタスが低下している。「ラジオらか流れる」ということの特段の意味づけが低下し、自分の文字・声・画像・動画を簡単に、パブリックな空間に呈示できるようになってしまった。
・ラジオは聴くメディアから、語るメディアとなった。コミュニティFMでは、素人出身のパーソナリティがあふれている。インターネット・ラジオにもなおさらである。
・有給で業界を渡り歩くプロのパーソナリティの活躍の場は限られている。

その意味では、Radio-iは、大人のラジオ、高級感のあるハイソラジオ、ジャズラジオなど、文化的なステータスや局のカラーにこだわりすぎたのかもしれない。経営さえ考える必要がなければ、ラジオは楽しいメディアである。
メディアは、収益に見合ったコンテンツしかつくれない。経営的には10年間一度も黒字になることのなかったラジオが、存続しつづられるわけはない。いや、年間一億の経費を、社会貢献として負担する企業・学校・機関があれば可能である。半額でよいのかもしれない。

親会社依存の経営の甘さ。
既存のラジオ的フレームから脱却できない番組の作り方とコストのかけ方
これは、名古屋のコミュニティFMもいっしょだった。

郊外部のコミュニティFMは健闘している。親会社もあるが、それなりに「必死に」と言ってもいいのかもしれない。また、ロケーションもあるのかもしれない。コミュニティFMは、「総合編成の地域密着」が特性のラジオ局である。名古屋の県域FMをひとつの大きなコミュニティFMと考えると、名古屋的なエリアから直接離れた町では、その町のコミュニティ放送はなりたつ。
Radio-iは、(特定の)音楽文化にこだわったラジオ局、音楽環境提供型のラジオ局である。つまり、ローカリティを薄めた、番組セグメント重視の局の敗北であった。セグメント化すればするほど、番組は1部のリスナーを喜ばせるが、スポンサーは付きにくい。

ZIP-FMは対象年齢が14歳から36歳という。しかし、実際には、もっと幅広い層が聴いても、そこそこ聴ける。ナビゲーターはだいたい30代。かつては20代だった。
これに対して、コミュニティFMでは、もっと上の40代~50代のパーソナリティが活躍する。

Radio-iは、ナビゲーターに関しては明確なセグメントは出来ていたのだろうか。ZIP-FMをお払い箱になったナビゲータをつかっていたことも多い。それ自体、放送文化的には敗北ではなかったのか。親会社から派遣された社員。赤字でも、会社が消えると思わないスタッフたち。減らない給与。
つぶれる組織・会社・大学というのは、沈没するまで手を打てない。気がつかない。いや気付いていても動かない。

Radio-i 自体の責任なのか
それても、社会情勢なのか

おそらくその両方のような気がする。

もっと別な戦略が可能だつたような気がする。
そして、社会貢献のためのラジオ局をつくることも可能だったようにも思う。

それには、あまりにも特定の企業の特定のオーナーの趣味の領域・流儀を抜けなかったのかもしれない。一番の責任者、総合プロデューサーがいるとすれば、その総括の言葉を聞いてみたい。

広島のある倒産したコミュニティFMを引き継いだ会社は、以前のスタッフを全部つかわないで、まったく新しい手法で、新しい文化のラジオ局をたちあげて、大成功している。

Radio-iにそんな、メディア職人がいなかった、そう思いたい。
ラジオには、まだまだ抵抗できる可能性があるはずだ、そう思いたい。
奄美好きなメディア研究者のつぶやき-タウン誌あれこれ

3月、6月末、そして9月と、今年3回目の奄美入り

タウン誌が増えていました。

以前は、「奄美大島探検図鑑」だけ。
それが、
「奄美 夢島」「YUMESHIMA NIGHT」が出て、
「machi-iro」
「楽奄美」(らくあまみ)
「ホライズン」という有料写真雑誌もある。

に増えてきている。
一番しっかりしているのは、「奄美探検図鑑」・・・それは思想がある。
ただ、手に取るのは観光客か・・・?
タウン誌として一番溢れていて、それなりに使えるのは「奄美 夢島」
「夢島」は、島内の人も情報誌として使うと思う。
「夢島 NIGHT」は、ちょっと風俗っぽいところが、、、なんとも魅力だ。

誰が、誰に向かって、どんな情報を発信しているのか・・・
そのあたりは、あれこれ取材してみなければと思う。

奄美好きなメディア研究者のつぶやき-9月の奄美の海
奄美好きなメディア研究者のつぶやき-8月踊りに遭遇


大学内によさこいのチームを作ったのが5年前
つくったという言い方は正確ではない。

よさこいをやったら、カラーが全く異なる学生たちの交流にもなり、社会参加になるのではと考えた次第。
市民活動とか、NPOとか、よりも、自分を軸にしての参加なので分かりやすい。
また、ヴァーチャル体験の多いいまの学生にとって、身体で共同でひとつの作品を共同でつくり上げる経験は、リアリティの感覚をバランスよく持つ、つまりリアリティ・リテラシーの醸成になるのでは
そんなことも考えた。

確かに、よさこいチームもメディア化している。
よさこい祭りもメディア・イベント化している。

しかし、その一方で、限りなく身体との対話という一線は残っている。
その一線の経験は大切なのではないか。

そんな特異な意義を考えてダンス部の先生に相談したら、自分は無理だけど、「やりたい」というカリスム女子学生を紹介してくれた。
その女子学生のカリスムと、私のゼミ生の協力と、私の強引な、教員らしからぬ思い入れ的肩入れによって、継続しつづけて5年目

それでも、学内的にはひとつのサークル
なかなか位置どりは難しい。

協賛金やカンパという言い方はいまいちなので、
「祭り」への「ご祝儀」というカタチで、同じ学部の知り合いの教員にお願いしてきた。
私の学部の教員は、結構、つきあってくれる。
市民参加、市民文化、住民文化といっている割には、絶対出さない教員もいる。

だが、多くの市民派系教員や活動系の教員は、どういう理由かはわからないが1000~10000円カンパしてくれる。
ありがたいことだ。

これが、部活の顧問の多い学部となると、やはり無理
公平ではなくなる。
部活として昇格して援助をもらうのが筋
大学の校友会でも同じ理屈である。
そして、正論だと思う。

サークルという言い方をできるだけ避けてきたのもそのため。
祭りに社会参加する「チーム」
大学の名前を冠に付けたチームで、
かつ、市民の祭典に参加する
このあたりが、競技会系スポーツとは異なる。

そして、カンパの考え方も、競技会スポーツを前提にした公平さで考えるか、
学生の社会参加への評価として考えるか
そのあたりで、学部の差、教員の差が出ているのも面白い。

それにしても、よさこいチームによる大きな祭りへの参加は、ひとつのサークルでやるには大がかりすぎるようにも思う。
なかなか大学チームが出来ないのもそのためだろう。

大学チームは、関西が多いように思う。
阿波踊りや四国の本場土佐に近いからか。
盛んな強いチームを見ると、大学がそれなりに支援しているのでと思ってしまう。
それとも、他に魅力的な部活が少ないのだろうか。

東海圏の場合にも、田舎部の下宿生の多い大学が強いようにも思う。
知多半島の先っぽにある下宿型の福祉系大学だつたり、
岐阜の教員養成大学だったり、
三重の伊勢地域の個性的大学だったり、
長野の地方都市にキャンパスが散在する国立大学だったり、
何か共通性を感じるのは私だけだろうか。

もっとも、名古屋大学にはある。
まだ演舞を生で見たことがないので、どの程度のチームなのかは知らない。
一度、ぜひ、拝見したいとも思う。

うちの大学の場合も、豊田の山の裾野
下宿生も少なくない。
それでも、通いの学生も6割程度はいるから、
そのあたりが、中途半端なのか、、、
5000人のキャンパスで50名
1%
毎年、必至に募集してこのくらいの数字である。

80人いたらかなりのインパクトになる。
元気で必死の50人には拍手だが、
どうしても、ファイナルには届かない。

それでも、オープンキャンパスに来た高校生が、
「よさこいがあるのか・・・」と興味をもってくれる
楽しみの少ないキャンパス
ないよりも、あるにこしたことはないだろう。。。

いっそ、NPOにでも登録しようか。

単なるサークルではない正当化の理屈を考えつつ
肩入れしたきた5年を振り返りつつ、
いろいろなことを考えてしまう夏

さあ、明日も、安城七夕で1日演舞
何かあるといけないので、できるだけ顧問として同行するようにしている。

友人の研究者に、「よさこいがあるので・・・」と言ったら、
研究フィールドワークと勘違いされた(汗)


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相撲観戦に行った。
家族4人で枡席
昨年から、せっかく夏に地元で相撲がく観戦できるのだからと、枡席を奮発している。
安くはないで、家族旅行もスケジュール的にままならなくなったいま、夏最大の大人4人の家族がそろったイベントと割り切ることにした。
確かに、民宿への家族一泊旅行に匹敵する金額ではある。


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それにしても、今年の名古屋場所前、相撲は揺れた。
いったい、相撲とはなんなのだろう。
野球賭博に端を発した今回の相撲とヤクザとの関係の問題
これをどうのように論じることができるのだろう。
メディアとして相撲をどう位置づけて考えていけばいいのだろう。
スポーツ社会学ならどう扱うのだろう。

そんなことを考えだすと、きりがない。

わが家では、チケットをキャンセルすことはなかった。
そもそも、昨年からチケットをインターネットで予約購入しているのだが、なかなか前の席は手に入らない。茶屋が押さえるチケット、、、インターネットにはどの部分が公開されているのだろう。
そのあたりからしても、不明瞭な興業だ。

それでも、昨年初めて相撲というスポーツ(?)をライブ観戦し、観客として盛り上がった。
昨年見終わった段階で、「これは楽しい、来年も来よう」というのが家族全員の意見だった。
数人で、飲んで食べて、わいわいしながら、隣の席の語りに耳を傾けながらの枡席
この空間は、スポーツ観戦にしても独特かもしれない。
ピクニックのような味わい
家族同士、隣との、土俵との多重なコミュニケーション
テレビ実況放送の公開録画のような楽しみでもある
メディア・イベントの主体であると同時に、座席でまったりとしての第三者的な観客でもある。

相撲にはまると、数年は毎年行くことになるらしい。
職場の隣室の同僚は、8年くらい続けて行ったらしい。
独身、一人娘の彼女にとっては、高齢の両親へのサービスだったのかもしれない。

このリピート性は、音楽ライブ、スポーツライブと似ている。

今回の賭博騒動、、、研究者やマスコミ人でも、もともと相撲は、たぶん、江戸時代から?・・・興業としてヤクザと深いつきあいがあることくらいは誰もが周知の事実だった。
それが、なぜ、このように「膿を出す」とまでに焦点化されたのだろうか。
マスコミのジャーナリズムの発揮があったからか。
どこかで、そのつきあいへに切り込むチャンスをうかがっていたのか。

もともと名古屋場所の興行主だった中日新聞は、どう報道したのだろうか。
NHKは実況放送中止を悩みながらも選択せざるをえなかった。
その悩んだ姿勢はよしとしよう。
なぜか、中日新聞は、主体的に意見を表明したとは報道されなかった。
興行主の1人は、どう悩んだのだろう。。。。
やはり、琴線に触れる問題だったのだろうか。

体育館に相撲の施設をつくる独特の工事事態、たぶん特殊な土建屋しか無理なはず。
とすれば、あまり踏み込んで問題を掘り起こすこと自体が得策ではない。

とすれば、朝日を始めとする全国紙対名古屋を制覇している中日新聞の代理戦争だったのか?

ただ、相撲がスポーツとして成立するためには、マフィア的な部分は徹底的に密閉されねばならない。
それが密閉できない位に表に出てしまった以上
「健全」に値する市民的な評価を得る必要がある。
その意味では、相撲のスポーツ化のプロセスのなかの出来事だったのかもしれない。
相撲のもつ、おおらかな清濁混在文化は、そろそろスポーツ=標準化のフィルターで洗われる段階にさしかかっていたのかもしれない。

21世紀的転換なのかもしれないし
メディア・スポーツ=ローカル文化のメディア化の宿命だったのかもしれない。

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興味深い懸賞が出た。
「相撲が好きだ」「名古屋場所をもりあげたい」
そんなローカリズム、パトリの発揮もあった。

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その一方で、どさくさに紛れてというか、マックの懸賞が目をついた。
マックのこの意図は何か?
商売が透けてみえる、マックのある種の抜け目なさは、あまり好印象を与えはしない。
しかし、存在が光っていたという意味では、広告効果絶大である。

来年、もう一度行ってみたい。
今年との「差」、、、そこで、もう一度、今年の名古屋場所を振り返ってみるのも悪くないだろう。

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オープンキャンパス・・・
夏休みは、大学にとってオープンキャンパスの季節
いまでは、一年中、何度もオープンキャンパスをやっている大学もある始末だ。
電車の広告、新聞の広告、そしてラジオと、媒体でも、オープンキャンパス満載
教育実習で富山の私立高校に行ったら、教室の壁に15枚のオープンキャンパスのチラシが貼ってあった。

私の職場でも、7月の下旬が都心のキャンパスで
9月の下旬に、郊外のキャンパスでオープンキャンパスが開催される。

郊外のキャンパスにあるハンディキャップをなんとかしたいと、私が持ち込むかたちで、都心のキャンパスでも、都心キャンパスの学部に割り込むかたちでイベントをするようになった

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私が持ち込んだ企画は、ラジオイベント。もともとローカルな小さなラジオ局の調査をつづけるなかで、山師っぽく「これは教育に使える」と直感したのが、ラジオを教育に取り入れた始まる。映像制作教育もしていたが、当時は、いまほど映像を切り貼りするのは容易ではなかった。AVを売りにしたパソコンさえも30ギガ程度CPUもペンティアム3。そりゃ、フリーズの山となるのは必至そんなパソコンにプレミアという編集ソフトを付けて高価に売りに出しているメーカーもあったけど、当時編集していた学生はかなり苦労していたはず。

それはさておき、
ラジオは、ともかく、簡単なミキサーとマイクとコードで、なんとか形になる。アンプとスピーカーを付ければ、なんとなくラジオイベントも。調査費で、ラジオ作品を制作することで予算をとり、手探りで機材の勉強も始めて、始まったのがラジオを使った教育。

その実践現場のひとつが、イベントでのラジオ放送なのです。そう聴かれるものではないが、ともかく、ラジオブースは、イベントの花とはなる。学生たちも、番組を企画したり、司会に汗を出したりと、どんな学生もそれなりに参加意欲をかりたてられるものらしい。

もっとも、このラジオイベントのおかげで、ゼミ志望をあきらめる学生もいる。人前で話すことに抵抗があるからだ。よく学生に話すことは、日本では、よく考えたら、人前でちゃんと話すという教育が少ないということ。私的なつぶやきや裏での愚痴ではなく、パブリックな空間で自分の発話をする。
ラジオは、そんな教育にうってつけではないか。大学からでは遅いのかもしれないが、いろいろな場を経験することで、たいていの学生は、ともかく、それなりに堂々としゃべれるようにはなる。

都心のキャンパスのオープンキャンパスでラジオイベントをやって、早、8年目。
1日目は3年生、2日目は2年生。3年生は、2年の終わりから、週5日昼のラジオ放送をしているので、それなりに落ち着いている。2年生は、ともかく初めて。初めての舞台が3000人が来場するオープンキャンパスというのは、とんでもないOJTなのだが、それでも楽しそうに、必至にこなしている2年生の初々しさが光る♪

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機材の搬入から撤収まで。職場のトラックを借りて、私が運転する。還暦近い年齢には堪えるイベントではあるが、私自身、やはりイベントが好きなのかもしれない。若い学生たちに囲まれながら、彼らがウキウキとやっている姿をみるのが、楽しい・・・。といっても、元気にやってくれる学年もあれば、なかなか動きに難があるメンバーがいる学年もある。そんな学生たちの学年ごとのゼミカラーに対応しながら、なんとかやっているという感じではある。

同僚の教育いわく、「○○さんは、いいね。楽しそうで。」
ちよっと待て!、「楽しそう」なのではない、一度しかない人生、「楽しく生きたい」と思っているのだ。研究だけに特化していたほうが、業績を産出する時間があるのは事実。それを割いてやっているのだ。まあ、ここは、業績で反撃するしかあるまいと思ってしまう。

ともかくも、毎年のことなので、少し疲れもあるが、イベントを終わっての学生の笑顔が「かわいい」と思えるうちは、まだやれるかな・・・
先週のマスコミュニケーション学会

懇親会のあいさつで、会長の東大総長でもある・・・・氏曰く
メディアを主語にした物語ではなく、マスコミュニケーションの原点でもある、コミュニケーションの物語を広く考えていく必要があるのではないか。
ネット社会になって、既存のマス媒体が力を失っていくなかで、ますますそのことがいえるのではないか。

メディアを主語とするのではなく

コミュニケーションとは、さしずめ、、、

メディアを使用実賤する人間の物語  ということか

次の日のシンポジウム

メディア文化を、(1)メディア・コンテンツと、(2)メディアのある生活様式=way of life 
の2面で考えるという視点が、難波功士氏から提起された。

way of life とは、まさにメディアのある暮らし方だが、それは、メディアの受容だけではなく、メディアと同期し、メディア空間を構成する行為を繰り返す、パーソナルメディアとマスメディアの融合する社会になってリアリティをもってきた言葉だ。

メディアと人の関わり、 メディアのある way of life
都市社会学者たちが開発した、 way of life を
メディア社会学者たちが、どう拡張していくのか・・・

情報社会学、メディア社会学を最初に名乗ったきた私たちに課せられた執筆の責務のそのあたりにあるのかもしれない。
残された10年あまりの間に、どこまで書けるのか、考えられるのか、、、、


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SHIMADAS という本がある。

日本中の島を網羅した島辞典だ。
いわば、島のウィキペディアというか、島インデックスである。

人になぜ、「島」に魅入られるのか

ファミレス文化の浸食を、「ファスト風土化」と揶揄したのは、三浦展である。
高速道路、ショッピングモール、ファストフード、24時間化
これが日本中、いや世界中を網羅していく。

彼が、こうしたファスト風土に対抗して、評価しているのは、吉祥寺や下北沢の都市的駅裏の小路
いわば都市の文化村であった。

コピーできない存在をそこに垣間見るからだろう。
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デジタルコピーと音楽の関係を鋭くえぐった井手口彰典の『ネットワーキング・ミュージッキング』
を読みながら、、、
デジタルコピーと、コピーを無意味化する音楽文化という対抗図式をみて、ふと、島も同じだというアイデアが浮かぶ・・・

ファスト風土は実体ではなく、ファスト風土という情報のモード、情報パターンである。
これの席捲に対抗して、そのコピー力を無意味にしていく固有の文化

島には、その固有の文化を彷彿させる、幻惑力があるのかもしれない。

所詮、それは幻想だと言い切ってしまえば済むのだが、
私たちは、島に、グローバル化されない残滓の夢を見たいのだ
いや、私もだが






島メディア

そう聞いて、興味をもつ研究者は多い。

なぜ?

$奄美好きなメディア研究者のつぶやき

メディア研究者は、マスコミ・東京中心・テレビ中心・報道中心
そうしたメディアのドミナントな構造から紡ぎ出されるストーリーに飽き飽きしている
いや、別の救いを求めているのかもしれない。

私自身も含めて・・・そうなのだろう。

もうひとつ
リアリティがかくも揺らぐ情報化とメディア社会の深化のなかで
虚構化・擬制化しつつ、その虚構化・擬制化に巻き込まれながら、ある種の特異なリアリティが作動することで、都市の情報化とは異なる、まだ、虚構化しきれない残余があるのかもしれない。

風土、歴史、生存環境の厳しさ、パトリ(郷土愛)、そして文化、とりわけ島唄

もちろん、逆にいえば、リアリティの最後の砦さえも、汎情報化、汎記号化によって飲み込まれている。
観光雑誌を見れば
島のサイトを見れば
そして島にも押し寄せるファミレスの店内を見れば
事態は、もうシマなる自然村の文化を思い出と記憶の彼方におしやりつつある

それでも、われわれは、地域的なるものの情報化のなかに、
安易に虚構化するものと、抵抗しつつ特異に虚構化するものとの、せめぎあい
リアリティの混淆を垣間見る

奄美には、そんなぎりぎりのせめぎあいがまだあるのかもしれない。

沖縄は、奄美よりもパワーはある。でも、年間500万人の観光客によって、もう敗走しつづけているようにしかみえない…と言ったら言い過ぎだろうか。

日本の最後のリアリティの砦、、、その残照が、時に、新しい力を得て蠢いてさえもいる。
それが
メディアの島・奄美の魅力でもある。

$奄美好きなメディア研究者のつぶやき

友人のメディア研究者からメールがきた。

最近の私のコミュニティFMについての論考をみて、コメントを語ったくれた。

彼も、このメディア領域に関心があるという。

私よりも、大いに売れっ子、日本の研究の先端を担っている気鋭のメディア学者である。

その彼の関心は、やはり、「多文化」共生にあるという。


日本でエスニックカラーを前面に出した放送局は少ない。

エスニスティを意識して放送している、ある意味で、放送局自体がジャーナリズムをもつている局が少ないということでもある。


それはそれでいい


問題は、そうした評価のフレームで、すべてのメディアの実践が裁断されてしまうことだ。


メディア事業の価値とはなんだろう・・・


研究者の、そしてまた開局を報道するマスコミの評価のフレームは意外と狭い。

ある既存のフレームからみて、「すばらしい」「勝った」「負けた」などと言ったりする。


いろいろな局をまわり、いろいろな実践者と語り、そして100名あまりのパーソナリティと語りあってきた・・・


私のなりの「いい局」「応援したくなる局」がある。

でも、それは、エスニスティを意識しているからでも、NOPだからでもない。


新しい形の放送局を模索している、手作り感覚の試みが各地にある。

「小規模独立メディア」の可能性は、既存の県域局を超えた多様な運営スタイルにあるだろう。


そうした現場で派生するさまざまな多様性に立ち止まり姿勢ことが求められるのではないのか。


どのスタンスから、現場をまなざすのか


メディア研究者は、いったい、どこに立つのか。
そのスタンスの取り方で、見えてくる世界が全く違う
いや、取材対象が全く違ってしまう。
自分に都合のよい事例収集に終わる研究が、いかにメディア研究を狭くしてきたことか。


高名な研究者たちから繰り出されるお定まりの評価フレームに不満なのか私だけなのだろうか?








私の住む瀬戸市山口地区(自治区)
学区でいえば、幡山東小学校区の区域である。

モリコロが住む、海上の森は、この学区=自治区内にあるのが自慢☆

地区の最大のお祭りは、「もーやっこ祭り」という。
比較的新しく始まったお祭りだ☆
というか、万博を契機に、盛り上げる意味で始まった祭りのような気がする。

そして、万博が終わっても、「もーやっこ祭り」は続く。
だって、万博が終わっても、地元の暮らしは続くからだ

で、今日、夏祭りのやぐら組に動員された。
社会福祉協議会の男性は、全員動員なのだが、まあ来たのは?分の1
それでも、鉄パイプ、鉄やぐらは、その手の建築工事の専門職の住民もいて、彼らのリードで見事完成!

かつては、冬に、モリコロぬいぐるみもやってきての祭りだった。
電飾で、EXPO 2005 と大きく飾ったものだ。

そして、結局、盆踊りと合体しての夏まつりに終息
これから、このスタイルで続いていくのだろう

※   ※    ※

それにしても、たいへんな目にあった地域だった。
愛知万博の瀬戸会場は、この自治区内の出来事だったのだから。
地区内には、賛成派もいれば反対住民もいる。よく、雰囲気が悪くならなかったものだ。
プライバシー問題もあって、最後まで反対した町内もあった。

誘致活動、環境運動、県による説明会、蛍の住む川(瀬戸会場の裏手の吉田川)の保全、そして会期中のあれこれの規制と防犯対策、、、

自治区は、翻弄されてきた。。。。
自治区には、旧来からの住民が、顔役となって、「まちづくり協議会」もある。
自治会(町内会連合)、公民館、社会福祉協議会、まぢつくり協議会、だいたいこの四つがメンバーが重なり合いながら、地区の行事を実施する。

といっても、結局は、すべて町内会からの選出方式
日本の地域社会のムラマルカガエの政治文化は、なかなか変わらない。
そして、任意参加の「まちづくり協議会」は、メンバーが固定し、なかなか新しい人は集まらない。

それでも、秩序解体に向かう日本の地域社会のなかでは、こうしたまつぢくりの人ネットワークがあるだけましなのかもしれないと思う。
そう思って、町内会の副会長となったこともあり、できるだけ協力している。

万博がおわり一年
万博の熱気は終息しつつあっても、地域の暮らしは続くのだから。。。