「ゼロ」と読み間違えませんように。七武海じゃないよ。
3つ前の日記にちらっと書いた「衝撃的すぎるできごと」。
こんな時間ですが、ここいらでちゃんと書いてみようと思う。少し気持ちが落ち着いてきたので。
長文なので読まなくてもいいです。
高校生の頃、個人的にとてつもなくお世話になった先生がいました。
3年間英語を教わった上に、2、3年の頃は学級担任。
中学生の頃は上の中くらいだった学力が、高校に入ってからはどの教科も軒並み挫折したわたくし。
そんな中、英語だけはこの先生のおかげで平均よりも上位にいた。
とてつもなく厳しい先生だった。計算され準備されつくしたシステマティックな授業で、生徒は予習してくるのが当たり前。
もしやってこなかったりしたら、頭ごなしに怒られた。
まじで具合が悪くて出来なかった時でも、怒鳴られた。ああコワい。
オマケに小テストの嵐、嵐、嵐(笑)
ゆえに、他教科の勉強よりも英語を優先せざるを得ない状況になって、他教科のK先生なんかは遠まわしに生徒たちに対して苦言を呈していたっけ。
でもしっかり準備していけば話も楽しいし、厳しいだけの先生じゃなかった。
英語以外ボロボロだった中、先生のおかげで英語だけは比較的出来が良くて多少の優越感にも浸れて、まあその結果英語が好きになった。
大学で英語を勉強したいと思うようになったきっかけです。やや不純か
高3での1年間は、英語教師としてよりも、担任として大変お世話になった。
昨年末の日記で書いたと思いますが、高3の頃におれは体調を崩してました。
受験勉強どころか登校すらなかなかできなかったおれに対して、先生は
「体調が一番大事だ。」
何とか授業には行けたものの予習まではできなかった日も、先生はおれに
「仕方がない」
と優しく言ってくださった。
「3年間積み重ねてきたものはばかにできないよ」とも。
勉強にとことん厳しい先生の言葉だったからこそ、余計心に響いた。
個別におれのために母と先生との三者面談の場も設けてくださって、受験とか先のことをいろいろ相談に乗っていただいたりもした。
体調が快復してからも「お前あと1日でも休んだら出席日数足りなくなって卒業できなくなるから、遅刻でも早退でもいいから来い。休むな」と笑いながら言われたこと、今でもはっきりと覚えています。
大学合格の報告に行った時は、満面の笑みで喜んでくださって。
今年の学年で一番の逆転ホームランじゃん!と。
おれよりもずっと喜んでくれてたっけ。
大学生の頃ショッピングセンターのオープニングイベントのバイトをした時、たまたま先生がご家族といらしていてばったり会った。
いきなりだったので面食らったけど、お話できて良かった。
先生が別な高校に転任される時もちゃんと離任式に行って、たくさんではなかったけど話した。
まさかあれが先生との最期の会話になるなんて。
亡くなったなんて信じられない。
てかまだ体調のこと心配されるような歳じゃなかったのに。
まだまだ若かったんだよ。40手前だよ。
離任式の時も変わらずお元気そうで良かったーくらいにしか思ってなかった。のに
不意に友人からさらっと訃報を聞いたとき、一気に頭がまっ白になった。
それまでかなり真剣に悩んでいたことすらも、どうでもいいと思った。
初めて、自分に高校時代からの友人がまったくいないことを悔やんだ。
大学で新たに知り合った同じ高校の友人は、お葬式に行ってきたらしい。
知ってたらおれもぜひ行きたかった。悔しい。
亡くなったと聞いたのは、もうお葬式の後だった。悔しい。
日程的におれが何も用事のない日に式をやったようだから。
いっそ札幌に行ってた期間と重なってれば悔いも半減したかもしれないのに。
でも、訃報すら知らない恩知らずになるよりはずっと良かった。
センター試験が終わるまで持ちこたえたなんて、いかにも先生らしいなと思う。
いい人ってなんでこうも早く亡くなってしまうんだろう。とはその友人の言葉。
難しいと思うけど、仙台に行く前にお墓参りか何かできたらな。「ご冥福をお祈りいたします」なんて、決まり文句みたいな言葉を遣うのにはあまり気が進まないけど。
人は、人に忘れられない限り死なないんだよね。
Dr.ヒルルクの言葉を信じたいと思う。
おれが先生から受けた恩を一生忘れずにいたら、その分先生も長生きすることになるよね。
気休めにしかならないけど、大恩ある先生へ、せめてもの供養になれば。





