はじめまして、オレンジ広場といいます。

 

 好きなこと:散歩、外の景色を眺めていること、ギター。

 苦手なこと:本音で話すこと、デジタル製品の操作。

 現在、家事と3児の育児に奮闘しながら、日々の仕事にも追われています。
 

 このブログは、私の体験談や日々の出来事などを、思ったまま、感じたままに

書いていく、自由気ままな世界です。

 お時間がある時の暇つぶしにでも、読んでいただけると幸いです。

 

 

 

 

 さっそくですが、私、過去に心を病んでしまい、1年近く休職していた時期が

あります。

 今は、その職場に復職し、毎日を頑張って乗り切っていると思っています。

 

 その時の心を病んでしまった原因や、休職中の過ごし方、復職までの流れ、復

職後について書いていきたいと思います。

 

 内容の半分以上は、私の愚痴になり、見苦しいところもあるかと思いますが、

最後まで読んでいただけると幸いです。

 

始まりは、上司のパワハラ。

 その職場は、3年~4年で部署異動がある職場で、異動の度に上司や同僚が変

わることが多く、私も異動を何度か経験していて、毎回、上司が違いました。

 その中で、職場内でパワハラが酷いと噂されている人が直属の上司となったこ

とがありました。

 その人は、常に声が大きく、小難しい業務が出るとすぐに部下に押し付け、他

の部署の人には、その押し付けた業務を

「ここはこういう方法で処理したから、完璧だ」

と自分の成果の様に話したり。

 その日、その時の気分の上がり下がりも激しく、機嫌が悪い日に業務の相談を

すると

「はぁ~、お前は話しが長い。もっと簡潔に説明しろ、説明の仕方を決めてもう

一回話せ」

と言い、業務が進まず、取引先からお怒りの連絡を受けたり。

 外勤業務のとき、部下が思い通りに動かないと

「とろい!先の先を読んで動け!なぜできない!」

と人前で大声で怒鳴ったり。

 係長の意向と違うことを言うと

「バカか?お前は何年目だ?」

と、また大声で怒鳴ったりで、常に気を遣い、息が詰まる毎日を過ごしていまし

た。

 

 

我慢の限界。

 そんな中、2年近く仕事をしていたある日、出勤の準備をしていると、急に頭

が真っ白になり、数秒ほど思考が止まり、激しい動悸と吐き気に襲われたことが

ありました。

 「疲れてるのかな?少し休めば良くなるかな?」と思ったのですが、その日は、

どうしても終わらせないといない業務があり、吐き気と戦いながら仕事をしてい

ました。

 

 今思っても、この時、既に心が悲鳴を上げていたのだと思います。

 この時期に、少しでも休んでおけば、心を壊すことも、長期で休むことも無か

ったかもしれません。

 

 それからも、吐き気と頭痛に悩まされながら仕事を続けていったのですが、あ

る日、業務内容で不明な点があり、嫌だなぁ~と思いながらも、係長に相談した

ときです。

 「ここはこういう処理をしたいのですが、よろしいでしょうか?」と一般的な

聞き方をしたつもりでしたが、これが係長の意向には沿わなかったのか、この日

の機嫌が悪かったのか、いきなり大声で

「何を言っているんだ?バカなのか?人の作業を止めておいて、その答えは失礼

だろ。謝れ!」

と怒鳴ってきたのです。

 

 その瞬間、ぎゅうっと胸が締め付けられるような感覚に襲われ、数秒ぐらい思

考が止まり、気づいたら「もう、無理です!」と大声を出してしまい、その場に

泣き崩れてしまいました。

 

 この様子に係長の上司である課長も気付き

「オレンジ君、いったん業務を止めて、ちょっと向こうで話しをしよう」

と職場内の会議室で課長と二人で話しをすることになりました。

 

 課長は、穏やかな方ですが、係長の言動や行動を見ても指摘せず、静かになる

のを黙って見ている人で、今回の騒動が起こるまで、事なかれ主義を通していた

のですが、事が事のため、やっと重い腰を上げたのだと思います。

 

 会議室で、これまでの係長の言動や行動を説明し「このまま、係長と仕事を続

けるのは無理かもしれません。どうすればいいか考えられません」と切実な思い

で話しをしたのですが、課長からは

「係長本人のためにもならないから、しっかり指導していく。だから頑張ってい

こう」と言われ、「何これ?係長はお咎めなし?もう駄目だ」と、とても落胆し

ました。

 

 家に帰った後も何も考えることができず、係長と同じ職場になった時期から睡

眠は十分に取れていなかったのですが、この日は一睡もできず。

 そのまま朝になり「今日、出勤するのか」と考えると係長の顔が浮かび、吐き

気と動悸に襲われ「無理だ、何もできない」と落ち込んでしまい、その日は一日

休みをもらいました。

 

 それからは、一日休んだり。出勤しても、早退したりが続き、睡眠も取れず、

日を追うごとに気持ちが落ちていきました。

 

 

逃げる場所の大切さ。

 さすがに、このままでは危ないと思い、心療内科を受診し、これまでの経緯を

話しました。

 そこで、主治医となる先生から

「抑うつ状態と、睡眠障害も出ていますね」

と言われ「心が病気なんだ。眠れないのも、吐き気や動悸も、これが原因なんだ」

と、少しだけ気持ちが晴れた気がしました。

 

「職場環境が酷過ぎます、環境改善をしないと長期で休むことになります。よけ

れば、この旨を書いた診断書をお出ししますが」

とも言われ「もう我慢しない」と思い、その日で、診断書を出してもらい、その

後は定期的に通院す事になりました。

 

 もっと早く受診すれば良かったと、主治医の存在がどれだけ大きいのかを気づ

かされました。

 

 

安心から一転。

 次の日、吐き気と戦いながら出勤し、診断書を課長に提出し、課長から人事へ

診断書が渡されました。

 その後、出勤を続けながら3日ほど経った日、人事との面談の連絡が入り、そ

こから3日後に面談を行いました。

 

 人事との面談のときも、これまでの経緯を話しました。

 人事からは

「職場改善はすぐにできませんが、パワハラが起きていることは見過ごせません。

オレンジさんの事案を基に会議を開いて、しっかりと対応していきます」

と言われ、また少し気持ちが晴れた気がしました。

 

 それから、すぐ、あの騒動が原因か、課長から指摘を受けてかはわかりません

が、係長が怒鳴らなくなり、質問や相談をしても

「それでいいと思う。やってみて」

と言うようになり、私は心から「良かった」と安心していました。

 そして、このまま抑うつ症状も睡眠障害も改善されると期待していました。

 

 しかし、それから一週間ほどして、久々に係長と外勤業務をすることになった

時、事件が起こりました。

 その業務中は、他の同僚も一緒だったので、初めのうちは、そこまで不安はあ

りませんでした。

 

 現場に着く前に車内で、今日の段取り確認をしようと係長に話しかけたとき、

「うるさい!考え事をしているからしゃべるな!また人の時間を奪いやがって!

と大声で怒鳴られたのです。

 

 車内にいた同僚全員が「終わった」という顔をしていました。

 

 この係長、課長の前や職場内では良い子ぶって静かにしていただけで、本質の

パワハラ上司ぶりは変わっていなかったのです。

 

 また、私に対して、ここぞとばかりに怒鳴り散らし、かと思えば無視されたり

で、外勤業務中、ずっと攻撃的な態度を取られ、最後には、また息苦しくなり、

その場で崩れる様に座り込んでしまいました。

 係長はそれを見て「ヤバい」と思ったのか、急に静かになりました。

 

 外勤業務を終えて、職場に戻った後も息苦しさは戻らなかったため、そのまま

課長に事の経緯を説明し、そのまま早退させてもらいました。

 

 

そして休職へ。

 その日から、急に気分が落ち込んだり、就寝しようと目を閉じると係長の顔が

浮かび、また息苦しくなって全く眠れず、翌朝、頭痛と吐き気に苦しまされると

いう事が続き、この状態ではさすがに出勤できず、仕事を休む日が続きました。

 

 「もう無理だ」と思い、診療内科の定期通院の日、主治医に「限界です。仕事

ができません」と相談し、その日で診断書を出してもらいました。

 

 その日のうちに課長へ診断書を提出した後、人事から

「3ヶ月間はご自宅で休んでください。今後については、後日、連絡を入れます」

と連絡があったので、診断書の内容は、主治医との相談内容からすると

「少なくとも3ヶ月は療養する必要があると診断する」

という内容になっていたのだと思います。

 

 毎回、診断書には封がされていて、私の職場では人事に提出するまでは開封し

てはならないという決まりがあるので、これまでの診断書の中身は、未だに見た

ことがありません。

 

 

 「ここまでで約2年半、、なんで私が休む事になったんだ?

 係長は変わらずあの職場にいる。職場に戻れるのかな。」と不安な気持ちのま

ま、休職することになりました。

 

 ただ、その日、職場から離れた後は気持ちが軽くなり、外の景色がゆっくり動

いている様に見えました。

 家についてもボーっとするというか、静かな気持ちが続き、夜も係長の顔が全

く浮かばず、久しぶりに眠れました。

 

 この時は「休職して良かったんだ」と心から思いました。

 

 

何もできない期間。

 休職が始まってから、すぐに問題となったのが時間の使い方でした。

 私の場合、休職が始まっても子供たちの学校があり、それに合わせていたので、

起きる時間帯も眠る時間帯も休職前と変わらず。

 子供たちが学校に行った後、家で一人になるのですが、何をしていいのかわか

らないまま、ただ時間だけが過ぎていました。

 

 仕事をしているときは「今日は休んで、家でゆっくりしたいなぁ」とか思って

いたのに。

 「3ヶ月、職場に行かなくてもいいのか」と嬉しく思っていても、だらだらと

過ごす日々が続きました。

 

 診療内科の定期通院の日、主治医にこの事を相談したところ

「これでいいんです。今は何もしなくていいというか、何もできないと思います。

不安にならず、好きな事をしてください。

子供たちと遊び倒してもいいと思いますよ」

と言われました。

 

 ネットなどでも休職中の過ごし方復職について調べると、

ダラダラ期活動復職期と段階的な時期があることがわかり「心の病気にな

った時、人間の頭は段階的に心を治していくのかぁ」と思いました。

 

 あと、この頃からラベンダーやハーブティーに興味を持ち始め、就寝前にラベ

ンダーのアロマスプレーを枕にかけたり、ハーブティーを飲んだ後にストレッチ

をしたり。

 割と効果があって、寝付きが良くなったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

ルーティンを作る。

 休職して1ヶ月が過ぎ、少しずつ気持ちが前向きになってきたので、

一日のやる事リストを作ることにしました。

 

 初めのうちのリストの中身は次のとおり

・子供たちが学校に行った後は家の掃除をする

・朝のうちにウォーキングをする

・午後は図書館などで本を読む

 

 休職前もある程度は家の掃除をしていたのですが、休職中にテレビや棚の下、

押し入れの中、トイレやお風呂など余り触れなかった場所を徹底的にキレイにし

たり。

 ダラダラ期はずっと家にいたので、なるべく外に出た方が良いと思ったのでウ

ォーキングと、あまりお金をかけたくなかったので、図書館で読書をするように

していました。

 

 これを半月ほど繰り返していき、ダラダラ期で太ってしまったので、ダイエッ

トと体力作りも兼ねて、新たに筋トレをリストに入れました。

 

 筋トレは、始めたばかりでお金もかけたくなかったのでジムには行かず、動画

サイトでダンベルだけでできる筋トレ方法を探して、朝のウォーキング前と夕飯

後に家の中でしていました。

 

 ダンベルは場所も取らず、使い方次第でしっかりと鍛えられるので、お薦めで

す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光が見えた。

 休職して2ヶ月が過ぎた時、職場の人事との面談があり、そこで

「オレンジさん、別の部署に異動するが決まりました。休職期間が終わった後、

新しい部署で働いてもらうことになりますが、いいですか?」

と言われ「係長から開放される」と心の底から喜びました。

 

 休職期間の3ヶ月が過ぎて、無事、新しい部署に配属され、今でもその部署

で業務に勤しんでいます。

 

 職場内であの係長を見かけると、今でも嫌な気持ちになりますが、あの時の

経験のおかげ(せい?)で、高圧的な人への耐性が強くなって、他の人の問題

や失敗にも親身に対応できるようになったと思います。

 

 とても苦しくて辛い思いをした時間でしたが「強くしてくれて、ありがとう」

と思える様にはなりました。

 

 

 今、職場や家庭、友人関係などで辛い思いをしている方たちに、少しでも早

く幸せの光が見えることを祈っています。

「休職してもいい 絶対に光は見えるから」

 

 それでは、今回の話しを終わらせていただきます。

 

 

 

 

 

 最後まで、私のブログを読んでくださり、誠にありがとうございます。

 今後も他の体験談などを書いていきますので、お時間がある時の暇つぶしに

ご活用いただけると幸いです。

 

 それでは、今日も一日、大変お疲れさまでした。