「お前の助けにはなれないのか。」


先生のこの言葉が、ずっと頭の中で繰り返される。


分かっている。

先生の、あの言葉は、本当に俺を心配してくれたから出たってことを。

あのとき、俺を見ていた先生の眼は真剣そのものだった。

それなのに、僕は先生の言葉を受け入れなかった。


「友達」だと思っていた人が、「友達」じゃなかった。

「友達」は、僕が同性愛者だと知った瞬間、僕を軽蔑した。

だから、先生も僕を軽蔑するのではないかと、思った。

そう考えると、表現は陳腐だけれども、

僕はまた嫌われたくない人に、嫌われるのではないかという、恐れがあった。


一目惚れから、僕の恋は始まった。

先生なんて好きにならなきゃよかった。

先生を見ていると、先生の声を聞いていると、先生と廊下ですれ違うと、僕は、泣きたくなった。

「悲しい」だとか、「切ない」だとか、そういう単純な気持ちではない。

先生のことが誰よりも好きだから。

好きだから、泣きたくなった。


女の子に、なりたいと思う。

男に生まれて、今まで後悔などしたことはなかったけれど、

先生を好きになった今、僕は、女の子になりたい。

女の子になれば、先生に告白できる。

女の子になれば、もしかしたら先生も僕を好きになってくれる。



「簡単に助けるって言わないで下さい。」



先生に言ってしまった、言葉。

言わなきゃよかった、と今は思う。


僕は、先生に謝るために、先生のいる体育科職員室へと向かった。

「なぁ…」


先生がしゃがみ、僕と目線を合わせる。


「何か嫌なことがあったのか。」


嫌なことはあった。

友達だと思っていた友達が、「友達」じゃなかった。

「友達」を信じることができなくなった。

同性愛者の自分を、更に嫌った。


「……何も言いたくないのか。」


先生の目に僕はどう映っているのだろう。

全てを言えるものなら、言ってしまいたい。

僕は同性愛者で、「友達」が一人もいなくなった、と。

先生のことが、誰よりも愛している、と。

けれど、僕は何も言わず、ただただ自分の握りしめた手を見ていた。


「……いじめか。」


はっとした。

確かに、他者から見るとこれは「いじめ」なのかもしれない。

しかし僕は、自分自身が「いじめ」の「被害者」だと思ってはいない。

思いたくもない。


「違います。」


その誤解だけは解きたくて、僕は目を先生に合わせて強く言った。


「お前がそう言うなら、いいんだけどな。でも、先生はお前の助けにはなれないのか。」


助け?

僕の助け?

どうせ、僕が同性愛者と知ったら軽蔑するくせに。

その先生の言葉に僕はいら立ちを覚えた。

助けにならないくせに、気安く助けたいと思う先生に腹が立つ。


「先生。打ち明けたら絶対に僕を嫌いになるのに、簡単に助けるって言わないで下さい。」


僕は、後先考えず思ったことを口にして、さっさと屋上から出て行った。

少しの後悔と、あんなことを言う先生に大きな悲しさを感じながら。

屋上に上がると、空がどんより曇っていることに気がついた。

天気予報では、1日中晴れだと言っていたのに。

けれど、厚い灰色の雲に覆われた空が、今の僕の気持ちと似ていて、嬉しかった。


屋上の隅に設けられた、ベンチに座る。

授業中のため、僕以外に生徒はいない。

1人だけの屋上は、教室よりも、居心地が良かった。

もう二度と、教室に戻りたくない。

もう二度と、軽蔑の眼で見られたくない。嘲笑されたくない。

これまでのこと、これからのこと、「友達」のこと、自分のこと、1つ1つ考えていると、僕は泣いていた。

声を噛み殺してはいたけれど、嗚咽交じりに。

何が悲しいのか分からない。どうして泣いているのかさえ分からない。

それでも、そのときの僕は、泣くことでしか自分を守れなかった。

不安なこと、忘れたいほど悲しいこと、そういうものは泣かないと昇華できなかった。


「おい。」


泣いていた僕だけど、すぐに誰の声か分かった。

全ての音を突き抜けて僕の耳に入る優しい声。

世界の誰よりも好きな声。

それは、先生の声だった。


泣いているところを先生に見られたのは、恥ずかしかった。惨めにも思った。

俯きながら、一度強く目を擦った。


「授業中のはずだろ。どうしたんだよ。」


顔をあげると、先生が真面目な顔をしていた。

この表情も、好きだな、なんて考えた。


「ん?どうした。」


何も言えない。言うことができない。本当の本当は、全てを話したかった。

先生に全てを受け止めてほしかった。

でも、また俺が同性愛者だと知ったら、先生は僕から離れてしまうかもしれない。

僕のことを嫌うかもしれない。

先生に嫌われたら、僕は生きている意味がない。


大袈裟かもしれない。人が聞いたら、鼻で笑うかもしれない。

けれど、先生のいない世界に、僕は生きる意味を見出せない。

先生が存在するから、僕は存在する。

先生が生きているから、僕は生きている。

例えるなら、先生と僕は、太陽と地球のような関係だった。

先生は太陽で、僕が地球。

太陽が存在しなければ、地球は滅んでしまう。

でも、地球が消えてしまっても、太陽にはさほど影響がない。

それが、先生と僕の関係に当てはまる気がした。


先生と僕だけの屋上。

静かな屋上。

黙ったままの僕と、どうしていいか分からない先生。


このまま時が止まってしまえばいいのに、そう考えた。