こちらのブログで取り上げておりました我が子は
出産後すぐに泣き声を上げず
呼吸困難で他病院のNICUへ搬送。
そのご2ヶ月ほど入院したあと、
初めて自宅に来てくれました。
その後もずっと発達の状態に心配があり、
NICUでお世話になった先生の元へ通院。
夫が転勤族だったため、何度も病院を変えながら、、
夫も含めた周囲には
「母親が過度に心配しすぎなのでは?」
と、
うっすらと批判されているような、
馬鹿にされているような、
ダメな母親とされ、自分でもそう思う日々を過ごしました。
様々な疑問点が湧きながら必死に子育てをして、
小学校の入学式で子供が周りと少し違った行動を取り、
担任の先生から指摘を受けたことをきっかけに、
周囲の反対も押し切り私が再度、
こどもの発達病院への受診を決定。
※転勤のたび病院を変えていたので、この頃は周囲からのプレッシャーもあり病院探しを控えていた頃でした。
その後、正式にASD.ADHDと診断されました。
ダウン症でなくても、
障害はありえる。
そんな体験をそのまま受けることになりました。
子供のために必死で精神医学と心理学を勉強しました。
子供の癇癪が酷く疲弊して行く毎日の中、
夫からも「ダメ母、ダメ妻」と毎日扱われるようになり、
その打開策を講じては実行する毎日でしたが、
既に精神力は底をつき、
ベッドから起き上がれない、
表情は常に脳面のようになっていたようで
オンライン通話をした親にひどく驚かれ心配されました。
更には、夫が仕事のストレスや、家の中で育児や家事がうまく回っていないストレスからか、
職場の方に私の悪口をウソも混ぜてとても誇張しながら沢山言っていることが発覚しました。
ひどい言葉が沢山確認できました。
私の勉強の末、夫もこどもと同じASD.ADHDの可能性がかなり高いこと、
または自己愛性パーソナリティ障害などの何かしらの障がいを持っていることが明らかだと思ったところで…
徹底的に私が夫に恐怖を感じる出来事がおきました。
刺されるのでは、
と感じて全身の震えが止まらなくなり
私が家から逃げ出したのは、
こどもの8歳の誕生日が来てすぐのことでした。
こどもは、ASDの特性ゆえだと思いますが、
新しい環境に居を移すことを大変不安がり、
それでいて私と一緒に行きたい気持ちでパニックになり、
最終的には私と一緒に部屋を出ることは出来ませんでした。
私は、泣きました。
こどもも泣いていましたが、
「あーあ。早く遊びたい」
など、
親が泣いているのに心無いな…と感じてしまうような、
いつもの調子の言葉も聞かれていました。
私は母親ですが、さしてこの子には必要ないのかなとも思いました。
それから話し合いが進まずに半年経った今現在。
こどもは夫に私の悪口を毎日聞かされているのか、、
「片親阻害症候群」
となったのか。
私の面会を恐怖し拒否している…と、夫の弁護士から聞いております。
私の弁護士は大変怒り憤ってくれました。
このブログに残していたように、
私は不安にいつも駆られながら、
より良い育児のために真面目に頑張りすぎてしまう母親でした。
それはイコール、良い母親ではなかったと思います。
それでも子供の幸せを祈って、今も出来ることを探しております。
その中には、潔く身を引くことや、
自分も幸せに過ごして
いつかその姿をこどもに見せたり
いつかのこどもの支えになれればというような
本来の母親の役目とは少し違った姿も選択肢にあります。
ただ、夫とこどもは同じタイプの障がいがあり、
理解者同士であり、
人の心も自分の心もわからなくて癇癪を起こしてしまう苦労を抱えながらも
常人よりもはるかに強いメンタルを持っていると思います。
私は、病んでしまったのです。
夫の攻撃が少なくなってから徐々に回復し、
今はほぼ立ち直ってきていますが…。
こどもへの想いが蘇ると、
泣けてしまうこともありますね。
すべてのお母さんたちへ。
その大切な想いが、報われますように。