2011年3月11日・・・あれからもう1年経った。
あの日は、日本人はもちろん、おそらく世界中の多くの人にもかなりの衝撃を与えた日。
あの日は、引っ越してから一週間しか経ってなかった、会社の事務所にひとりでいて、突然の大きな揺れに、なかなか収まらない揺れに怯えながら外に出た。
当時、一緒に仕事していた視覚障がい者の友人が、ひとりで外出していたので、心配で探した。
偶然、会社のビルを出た所で出会うことができた。
新宿の駅は人で溢れかえって、バスもタクシーも電車もダメだということで、2時間半掛けて、友人の自宅まで歩いて行った。結局私は家に帰れず、帰宅難民になった・・・。
あの日から1年・・・。
正直言うと、復興のために何も出来ない自分の無力さを痛感したけど、国の指導力やスピード感のある臨機応変な行動が出来ない実態を改めて実感した1年でもあった。
1年経ったのに、まだ多くの人が仮設住宅で生活している。多くの人が職を失ったままでいる。
それ以上に、そのような困難な生活の中でも頑張って立ちがり生活している被災者の方々への将来的計画が全く国から発信されていない事に言葉を失う。
結局、義援金は本当に必要な人に渡っているのか、どのくらい渡っているのか、それすら知っている日本人も少ないのではないだろうか・・・。私も分からない。確かにわずかな金額かもしれないけど、それはお金と共に「絶対に復興して欲しい」という強い願いも含まれているはずだから、本当に必要としている人に渡っているか知らせるべきではないかと思う。
今、東北の復興が進んでいるのは、国の力ではなく、国の支援を待っていてもどうしようもないからと、被災者自らが懸命に活動しているからだと思う。(テレビやネットなどの情報から知ることしができないけど・・・)
そして、被災地では多くの方が同じ辛い思いをしていたと思うけど、障がいを持つ方々が自宅で、避難所で多くの困難な状況にあっていた事を後から知った。。。
聴覚障がい者は、聞こえないため、何か避難所で情報が放送されても分からない。ご飯の支給があったことすら知らなかった人もいたらしい。
視覚障がい者は、全く見えなくても、自分の家や良く行く場所の造りは記憶しているからひとりでも何でも出来るし、普通に料理を作って子育てもする。でも、避難所では多くの人が至る所にいて、状況も分からないから一人で動くことが出来ない。夜中にトイレに行きたくても、誰かに頼らなければいけない。。。
知的障がいや自閉症の子供を持つ親の皆さんも大変だったと新聞で読んだ。そのような障がいを持つ子供たちは、予想外の状況にパニックを起こす。それははたから見たら、ただのわがままな子にしか見えないし、突発的な行動を起こすので、そいうい症状があるんだと知っている私でも最初はビックリしてしまうくらい。避難所に行けばたくさんの人が精神的にいっぱいいっぱいの中生活しているから、周りに迷惑を掛けられないからと避難所に行けなかったそう・・・。避難所でないと食べ物やその他の支援も得られないと分かっていたけど自宅にいるしかなかったと書いてあった。。。
車椅子で生活している人も、あのガレキの中移動するのも大変だったと思うし、すべての避難所がバリアフリーであったとは考えにくいから、大変だったと思う。
そう言った声を色んなところから聞いて、いつまた同じ状況になったとしても、国籍や障がいあるなし関係なく、すべての人が平等の支援を受けるべきだと強く感じた。
確かに自分が大変な状況にある時に、他の人の事を考えるのは大変だと思うし、自分も出来るかと言えば分からない。でも、今回の震災で、世界中の人たちが「自分たちも困難な状況の中で、譲りあう、想い合う日本人の人柄」に賞賛の声をあげたように、きっとどんな支援が必要かを普段から知っていれば、となりに障がいを持っていて困っている様子だったら声を掛けてあげられる人は、きっとこの日本にも沢山いると思う。
私も障がいを持つ友人がいなかったらきっと知らなかった事が多いと思う。
私が教えて貰った事、多くの人に伝えたい事・・・。
聴覚障がい者とのコミュニケーションは、手話だけじゃなく、紙とペンがあれば(なければ地面と石でも)、『筆談』という方法はあるんだよということを知った。聴覚障がい者=手話ってイメージが強いけど、手話を出来ない聴覚障がい者も沢山いるし、唇の動きを読み取れる人も沢山いる事。そして、普段私たちが何気なく聞いている隣の会話からの情報も、聴覚障がい者には全く聞こえていない事。だから自分が小さいと思う情報も教えてあげる必要がある事。
車椅子で生活する友人と一緒にいて思った事は、ほんの小さい小石でも前に進めない車椅子もあれば、他の友人は結構どこでも行けちゃう事。車椅子生活していても、車椅子からそこにある椅子に乗り移れる人とできない人がいる事。
自閉症の子は、一見わがままな子に見えるかも知れないけど、それは脳の障がいであり、良く電車の中や街中で見る、独り言や異常に見える行動も、それは本人なりに感情のコントロールをしているだけだから、変な行動をしている人ではなく、その行動は当たり前であり自然なことだという事。
視覚障がい者すべての人が点字が読めるわけでなく、全体のほんの1%しかいない事。でも点字は何か勉強するとか試験を受けるとか、そういう時にはとても大切なものだから絶対なくしてはいけない事、
言葉1つで○○障がいといっても、ひとりひとり障がいの程度が違うし、必要とする支援もひとりひとり異なる事。
だから、もし障がいを持っている人が困っている状況に遭遇したら。。。
『大丈夫ですか?』、『○○しましょうか?』ではなく、
『なにか、お手伝いしましょうか?』
『どんなお手伝いをしたらいいですか?』
と声を掛ける、もしくは手話や筆談で聞いてあげて欲しいです。
『大丈夫ですか?』って聞いてしまうと、大丈夫じゃなくても「大丈夫」と答えてしまいがち。。。
『どんなお手伝いをしたらいいですか?』と聞けば、その人が必要とする支援が出来る。。
それを教えてもらったし、今でも知らないこと、分からないこと、新しい発見があって、色んな事を教わってる。
私が出来ることは、本当に微力だと思うけど、そうした経験を活かせるようにしていきたい!!