あー2ヶ月近く日本へ里帰り?!
あー楽しかったのは数週間
やっぱり、何年も海外に住んでいたので
日本の当たり前〜スッカリポンポンの忘れてる〜私
なぜ、そうなってしまった日本
まえから、そうだったのか日本
そんな事を思い始め疲れた
子供を我慢させない親はダメ親?!
無意味なことに子供を締め付ける風景
あえて風景と書いておこう...
ほんとは他人の目...と書きたいけど...
私も、そんなのを試してみたが
子供からWhy?!答えがでない私は失敗。
とりあえず、それが日本だ!!っと言うのが精一杯
子供の友人のママに話したらお国柄の違いに驚いていたし、私には言葉の壁があるが海外で暮らす事への気楽さが、日本で暮らす窮屈さを割増させた。
日本よ、何処へ向かっている?!
時代わ繰り返す?!
何だか強制的過ぎる子供の環境
日本に住みにくいと痛感した
2ヶ月の一時帰国だったな〜
でも、友人たちと過ごした時間は学生時代と変わらない素敵な時間だったな
変わったのは、殆どの友人に子供がいたってことだけ!




え〜将来的に住む場所として....
近道は田圃を突き抜ける田舎か
近道は車の通れない階段や坂道裏路地の都会か...

どちらも車は自身で所有していない事
小学校入学前の2人の子供がいて
1ヶ月、両方を体験するチャンスがあった

あ〜なんとも言えない...
どうとも言えない...
言っちゃいけないんだろう...
と、まで感じてしまった

両方、同じ問題が課題
だけど、内容はまた別物

あ〜私、日本に住む日は近いのか
あるような〜ないような〜

でも、私は人に恵まれる星のもとにも
生まれたようで
出会った人に助けられ導かれる人生を
過ごしてきているんだよね

いつでも、いつまでも自分の感性を消さずに
生きていけたらいいな...
なんでしょぅ…
他愛も無いタイトルかと思いますが
私にとって家族と電話する話をするという事は珍しい事です。

まぁなんて言うんでしょう
感性の違い?!生き方の違い?!
まぁ。何か違うんでしょう。

電話がかかってくるのは予期していました。
母方の祖母がなくなりましたので
そう
この一年で3人の祖父母が亡くなりました
もう私には祖父母は一人も居ません
悲しい事ではありません
私は祖父母たちより先に命を落とすこと無く生きていた事を嬉しく思っています
私は3人の最期に寄り添う事も遺骨を拾う事も出来ませんでした。
私が学生の頃に亡くなった祖父の告別式には参列することが出来ました。
癌の投薬治療をしていたために
遺骨は緑色の部分があったのを
今でも覚えています
私は…人前で涙を流す事はありませんでした
それが私のプライドであり祖父への感謝の最大限の現れでした
生前、議員活動を長くしていた祖父でしたので参列者名簿だけでも数百人
田舎でしたので情が深い方々が多かったのでしょう
沢山の方々が来て下さいました
まぁ祖父があと1年長く生きていたら
今の様な私はありえませんでした
公務員職でお見合い結婚をしていたことでしょう。
私が中学生の頃
祖父は私に結婚論を披露しました
ぇぇ100件以上の仲人をしていたそうですから
どこの馬の骨だからわからない男と結婚したらいけない…
ちゃんとした大学を出て、きちんとした会社に勤める年上が良い、私が探してあげるとまで言っていました。
そして海外駐在妻なんて暮らし推奨していました…

告別式に参列することの意味
それぞれの立場や関わりにより多くの人たちがいらっしゃいます
また親族側も色んな想いがあるでしょう
人間の本質が所々見受けられます
その多くの人の感情の中で多くの事を気付かされることも多く
出来る限り都合をつけて故人と仲間達の集いである最後の別れの場に足を運びました。
しかし、この三年で友人、知人、祖父母をなくしましたが駆け付けることは出来ませんでした。

それを知ってか知らぬか
亡くなる前日や1週間ほど前に
私の夢の中に出てきます。

昨日、亡くなった祖母も
この2,3日浮かびました
来年の一時帰国時に介護ホームへ遊びに行こうと頭を過ぎりました。
私はお買い物が好きなのでお土産に何がいいか考えていましたが
いきなり途中で、何も要らない。
という状態になってしまった数時間後に
姉からのメッセージがきました。

会いに来てくれたという事だと私は感じています。

私にとって祖母の介護ホームへ足を運ぶことは、母への親孝行だと思っていました。
私、2度結婚をしていますので
母としては人様には言い難い娘の不祥事なのでしょう。
私は離婚して再婚するまで地元へ戻りませんでしたので親戚も知らないで亡くなっていった方々も数名います。
主に親戚づきあいをするのは母ですので
主人には申し訳ありませんが
言わない母を私は見守るという形をとりました。
なので、私の幸せを母が祖母に見せる
それは、母が祖母への感謝の形
祖母にとっては自身の生きた証
ではないだろうかと考えていました
介護ホームで家族と離れ最期を待つ生活の中で、家族の訪問はとても嬉しいそうです
目に涙を浮かべ、来てくれてありがとう!
という祖母に心打たれる私でした
今思い返せば、離婚して再婚するまで
会いに行ったことはありませんでした
会いに行き始めたのは妊娠出産を期に
その祖母が亡くなり、友引あけの月曜日が告別式だそうです。

自らが母という状況に立ち
いろんな視点が変わったというか
視点が増えたと感じています

翌年に姉の結婚式を控えた母にとっては
祖母の死は老衰とはいえ
とても辛い事だと思います
年明けには姉が2度目の旅立ち
1度目は大学進学時
私が海外へ出る年に
実家へ戻ったので3年
実家は4部屋空くことになる事を考えると
祖母の死と姉の結婚がなんとも絡み合い
母の寂しさが感じられ
3時間ほど電話をしてしまいました。
電話代が怖いです
おやすみなさい