霊人メッセージ公案の学び (谷口雅春様)

2002年6月8日 ○○支部礼拝室にて。 

当時の私(アモ~レ)のが持つ、信仰論の限界を、実にさらりとご指摘されてしまいました。

当時の私は、「自分が、こういうことを考えている人間だ。」とは、実は気づいてはいませんでした。(笑)

本当に、不思議な体験でございましたし、大変な勇気を与えられた一日でございました。
以下太文字が、生長の家初代総裁 谷口雅春先生からのお言葉です。



あなた(アモ~レ)は、「信仰とは、仏神への無限の信頼である。」と考えているようだが、その考えには、


神と人間とを別のものとして、分けて考えている所がある。
そして、人間の主体的努力を、放棄する考えも入っている。


また、神と自分という認識、世界観の意識がそこで止まっていて、信仰が発展・拡大する余地がない。

という問題を含んでいる。

アモ~レ

「これから伝道していく対象の方に、信仰を説明するのには、有効ではないかと思うのですが。」


信仰論としては、あくまで入門編である。
やはり本質のところ、

「人間神の子、仏の子思想」を、強く想念として打ち出して行くべきである。

それは現実には、証明できないだろう。

神も。
人間神の子も。

しかし、それが信仰である。

そして本来の姿、

「神と同じ光」「神と同じ力」「神と同じ智慧」「神と同じ愛」に、

立ち返るべく努力を誓うこと、そしてそれを実践していくこと。


それが神の子人間の、あるべき人生なのだ。

そういう眼で人々を見た時、

この世の価値観という鎧を着た魂たち、鎖をつけた魂たちで、溢れていることに気付くだろう。
それを気の毒に思えることが、伝道の動機となるのだ。


あなたの魂は、キリスト教との縁が深いゆえに、

この世での、神の世界と世俗との戦いに、まだ捉われている。

であるならば、


「信仰とは、神への無限の信頼である。」

なぜならば、

「人間は神の子、仏の子であるからだ。」

という、二本立ての信仰論で行けばよろしい。

「無限の信頼・・・」一本で行くと、あなたの周りが、

今のカトリック世界のようになることを、私は心配しているのだ。

実相の世界とは何か。


それは哲学的認識でもなく、言葉の遊びの世界でもない。
生命の実相を一言で言うとするなら、それは「悟り」と同語なのだ。

「さあ悟れ」と、言っているのだ。


「人間の、本来の姿を取り戻せ。」

「霊的世界で、暮らしていた頃を思い出せ。」


「その世界の認識で生き、世の中を見、自分のやるべきこと、使命を悟れ。」

「そしてその結果、その境涯が、死後の行くべき世界を決めるのである。」


と、仏陀と同じことを、一言で言い表しているに過ぎない。

あなた(アモ~レ)の魂の、本当の願いを考えてみよ。
あなたは、最も少ない労力で、法・真理が拡がっていくことを、常に考えているように思う。


「伝道の労力の削減」

「法の広がりの、時間の短縮」

「伝道活動の容易化」が、あなたの願いであると思う。

「皆ができ、できるだけ少ない労力で、多くの方々に真理を広めたい。」と、

あなたは常々願っていたはずであり、それが、主なる関心事ではなかったか?

常に、それを考え続けられるということは、神からその実現を、期待されていると信じることだ。



他人は、「怠け者」とか、「働きが悪い」などと言うかも知れない。
しかし、働き者ばかりでは、世の中は少しも進歩しないのだ。

腕の悪い医者がいるからこそ、医療器具はここまで進歩した。

主婦が「楽をしたい」と願ったからこそ、家電製品が世界を覆い、

その結果、地球から奴隷は姿を消した。

無駄なものは何もない。
神の期待を信じ、精一杯の活躍ができることを願うことだ。

アモ~レ
「大きな勇気を頂きました。ありがとうございます。」

「精一杯、精進いたします。」


神は、人間を悪人に創っていない。

無限に尊きものとなれ!



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