天使ママの妊活日記→妊娠中

天使ママの妊活日記→妊娠中

2013年12月に妊娠18週で息子が天使になりました。それからの妊活記録です。

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母が死んでもうすぐ一年です
父もいない、妹も縁を切って
私の家族はもう誰一人いない。
悲しみを分かち合える人はもういない。
母が癌になった時、
私は母にとても心配をかけてしまった。
一緒に住んでいても私は私の人生を!と
思ってほんの少しも母の不安に応えてあげられなかった。
妊娠、死産。
母の存在がとてつもなく支えになった。
癌の再発を知って、死と向き合わないといけないと
わかった時に私はなぜか母に苛立ち、
反抗期の子供のようにしか振る舞えなかった。
どうして私をおいて死んじゃうの。
母子家庭で育った私と母と妹。
長女の私は母の召使いのようであって
期待を背おって、本当に苦しい苦しい生活だった。
何をしても認められない。何かすると怒られる。
母の期待には到底応えられなかった。
結婚して家を出るまでずっとずっと泣いてばかりだった。

それを思うと、これから介護を母の期待を、どうやったら応えられるのかわからない。
また何をしても怒られるに違いない。
勝手に被害妄想して逆ギレ。
死ぬのが怖いことの防衛反応?
でも長女としての責任感からは解放されずに、
病院の送迎は仏頂面でする。
2回目の妊娠、無事に出産をして母には頼らずに育てたいと思ったけれど、
母の強い希望で産褥期は実家で過ごさせてもらった。
でも、ちょうど抗ガン剤治療と重なって、
嘔吐倦怠感などの副作用でぐったりする母に
赤ちゃんの世話なんてできるわけもなく
私の食事も相当頑張ってギリギリ作れる程度。
産後テンパってのホルモン乱れまくりの私には
ありがたみより、なんで実家に戻らないといけなかったのという怒りしかなかった。
早く帰りたいと言って自宅に戻り、
赤ちゃんの世話でいっぱいいっぱい。
母には4回くらいしか赤ちゃんを連れて行かなかった。
みるみる痩せ細る母を
太り過ぎだったからちょうどいいんじゃないと
軽くしか見ていなかった。
そんなことより私は赤ちゃんの世話で大変なんやと。
1回目の抗ガン剤の時のようにまた落ち着く時が来ると思ってた。
脳に転移して、治療の入院をしてすぐだった。
ほんとにほんとに、あっけなかった。
相当悪くて悪くて、やっとやっと入院できることになったよーと母。
介護保険も適応されて、お風呂に入れてもらえたーって。
癌マークも数千単位、跳ね上がって先生ももう無理だって。
一人でどんだけ我慢してたん。教えてよ
入院して毎日通ったけど
周りからこれからの介護の相談やら治療やら相談されて
育児も必死で毎日寝不足で
頭パンクしそうでもうどうしていいかわからなくなってたとき、
多分お母さんの気遣いだと思う。
誰にも迷惑かけないようにあっけなく死んだ。
呼吸が本格的に苦しくなって
今日はもうしんどいわーって言うから
早々に帰った夕方、病院から治療方針について
相談があるって電話があって、
今家に着いたところで行けませんって言った
翌日の朝。
もう呼吸がまともにできてない中、
先生が話あるってって必死に私に言う母。
ニベアクリーム持ってきてって言う母。
早く私と先生が話をすればどうにかなると思ってる母。
夜中ずっと苦しくて不安になってたみたい。
あんな苦しいのをずっと一人で耐えてたかと思うと
気が遠くなる。
先生から今夜がヤマって言われた。
麻薬を入れて楽にしてあげましょうって言われてから
手続きかなんかで2時間くらいかかったかな、