
いつもありがとうございます


ご無沙汰しておりました
今日は、なぜ私がスピリチュアルが好きで、神仏や光やヒーリングを求めてきたのかのお話しです
( ̄人 ̄)
水やエネルギーは、高いところから低いところへと流れる
ということに、私も確かにそうだ!と納得しました
こちらをご覧になってくださる皆さんには、ご承知の介でしたら、今一度お付き合いください
日々の暮らしの中、嫌なトラブルが発生する、芽を出す可能性があります
すでに何らかの問題の中に閉じ込められている場合
これを無自覚にしたままにしておきますと、心の中がすさんで汚れてゆきます
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すると
『あなたにとっての大切なこと、ほんとうのこと、解決策』が見えにくくなります
エネルギーは、自然に上から下へ流れるものだというシンプルなところが特に忘れがちな点となりますが
自分が何を思って、感じてどんな状態になっているかをながめるために、自覚を持つようにとすすめる理由です
曇って汚れてしまった鏡を拭くように、心も磨くと輝きますし
エネルギーレベルがあがれば、見えるものも変わります
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『対立、批判、怒り、憎しみ、、恨み、むさぼり、無気力、無関心、ねたみ、そねみ、嫉妬、劣等感、書ききれないほど他たくさんあります』
もっともっとと、もらいたがり、要求し、きりがなくなってしまうものです
トラブルの渦中にあるか、現状や自分、他人に不満があればいくらでも
このようなネガティブで、低級次元へと流れる可能性があり、同調すれば、ぬかるみに足を引っ張られてゆきますし
同じような低レベルのネガティブなエネルギーや、人にチューニングしてしまうと
以前の私の体験のように、
あなたの身体が、ネガディブな存在にとっての頼みの綱どころ、良い居場所、住みかとされてしまいます
私はたまたま違和感に気がついたのと、ある方とのご縁がありまして龍神様に払って頂く機会が出来て、とっても感謝とありがたみが湧いて参りました
そのお返しの代わりと言ってはなんですが
なぜそのようになってしまったのか…にきちんと向き合う事、耳を傾け、諭され、理解してゆくなかで
他人の行いうんぬんではなく、まずは自分の心を磨いてゆきます!と
まだまだわたしも優等生ではないけれど、失敗を重ねながらでもコツコツやりますと
もちろん押し付けられてもいません
だけれど感謝のあまり、自分の意思によって宣言をしました
ネガティブな存在は、心に闇を抱えたままの、波長の合う獲物を探してウロウロしています
そして気づくと、真っ暗闇の部屋に閉じ込められたようになるのです
もしも、そんな自分が嫌で苦しいと、微かでも気づいたならば、
そんな自分自身の声を信じ、自分を闇から救うぞと
自身が闇から出たいから出るのだ!と望むなら
その一心が、ほんとうのあなたの中に微かに灯る光です
暗くて深い闇の渦に飲み込まれてしわまないよう、必死に必死に掴んだかすかな一筋の光です
(こんなのは嫌だ!ここは不愉快なところだ!ほんとうは幸せになりたかったんだ)
と言う藁くらいのかすかな光をつかんだ瞬間なのです
自分は闇の海の中に溺れているのだ
そして今すぐに、自分の心の声と言う光につかまって這い上がるチャンスなんだと
自分が闇にいることを自覚しなくては、他者も誰も助けてはくれませんし
闇に飲み込まれることを助けるものは、他でもなく、
『私の中、あなたの中にも、誰一人としてもれることなく遍在し、もとから備わっている光へと向かう羅針盤』です
前を向くとは
どんな過酷な心境、状況の中であっても
あなたにとって、ほんとうの光の方へと、常に的をしぼりつづける
標準(判断のよりどころ)を定め続けることが必要です
また、そのような光を求めて、そちらに引かれてゆく装置が備わっています
遠くても、地図がなくても、ゆく場所がわかっている渡り鳥の感覚のようなもに委ねます
光の窓口は、私の場合であれば、精神世界や神仏の見えないけれど心地よい、そんなエネルギーであったりしました
窓口は窓口であり
何を持って光と見なすのかは、
すでにご本人がよくわかっている方も多いのではないでしょうか
実際、信じるか信じないか、やるかやらないか、判断と責任はは全部、ご本人に委ねるところでもあります
いくら神仏や何かを持ってしても、人様の悲しみを劇的に取り去ったり
懲罰や脅しにより根本から改心させるなど
あり方を外からのアプローチだけで変える事はできません
本人が自分の所有している闇に心底懲りて、自覚し、その根底の本質に自らが光のメスを入れ
アプローチをするまでは変わることもできません
どこの次元に居たいか、向かいたいのか、どうなりたいか最終選択と決断は、本人の選択であり
他者の手出しが出来ない領域があるのです
私たちは誰しも、自分で考えるよりももっと尊いものだからです
ライフスタイルであったり、生まれた国、地域、学んできたことによって
バックグランドの違いから、幸せへの定義が多様にあったりしますから
人それぞれでしょうし厳しい言い方ですが、実際どこの次元に居ようが本人の自由なのです
そう言う状態に、自ら入る人もいるのです
ただそういった次元の低いエネルギーにある人がそばにいると、周りにも影響があるので、
様々な外側からのアプローチの方法も流れているのです
話は戻り
トラブルや問題に『気』をとられ、ネガティブや低次元に在る場合、ネガティブなものと繋がりやすくなり、しかも無自覚な場合が多々あります
ですが万が一、光の兆しが現れ、闇を抜けはじめたときには
変化の可能性が開いたことに気づいてゆきます
しかも自分自身の心象風景のあり方によってです
すると遅かれ早かれ、闇も偉大な教師であったと知ることになりました
そこでエネルギーの変換といいましょうか、見えないですが、調和が起こり
(ただし急なカーブはブレーキを踏みながら、速度を落とさなければ転んでしまいますように、変化するときはゆっくりでが良いのです)
変化の時は、わかっていても歯がゆい
o(><;)(;><)o
ジタバタしたり劣等感に陥ることだって、必須の出来事です
しかし、潮の流れは時が満ちれば変わるのだと知ったのです
闇も光もそのままありのまま調和すると
その真ん中からは、3つ目、4つ目の何かが生まれてくるはずです
それがどんな闇であろうとも、光が消えて無くなることはないし
反対に、光の中でも闇がなくなってしまうこともないのです
諦めずにコツコツと歩き続けてきたことの、ギフトみたいな醍醐味でもあり
闇と光が織り成すと、厳しく楽く美しい愛のハーモニーなんだとも思えたのです
(^^)
三連休ですね~

読んでくださりありがとうございました~

KIRI・感謝

者
