続きです

(=゜ω゜)ノ
私たちは人間と言っても動物で『核』となるものは神性だとしたら
どんなに闇に包まれて光なんて見いだせなくなったひとの中にも、消えない光があって
『神性、光、明るい、美しい、楽しい』と言うものがね
どんな罪人、悪人にも、小さく一点でもポツンと消えないで、この中にあるはずです
もう一方では、誰の中にも煩悩のような心も同時にあわせ持っています
これまで、おいたちや環境、見るもの聞くものが自分を作り
何が自分の心のあり方に作用して、自分や他人を照らし合わせてきたかでその
人か、野獣か、の配分は変わるのではないかと思います
光だから良い、闇だから悪いではなく、どちらも自分の中に大きく育つ可能性の土壌と要素が
もともとあるのですね
私の場合は、結婚や育児を通して、隠されていた自分の気性の激しさ、身勝手さをたくさん見ました、この状況はひとそれぞれと思いますが
((((;゜Д゜)))
だから改心しようと思い、頑張っていたのですが、それもまたやりすぎと言うか、今のままで良いと気づくまで、どれだけ時間とお金を使ったのでしょう

この荒々しいエネルギーのふきだまる世の中で、何が優位、優秀かと、勝ち残りを強いられてゆく過程で
自分を見失い、汚れたままになってしまった心は、神性(本来の自分)のまわりに、黒い煩悩の幕をかぶせてしまい、違和感に気づかないでいると
もっと闇に支配されてゆき、本来は自分が座るはずの操縦席を明け渡していたとしたら
気づいた今、またそこからが、自分で自分を育ててゆく醍醐味だと思います
ちなみに『煩悩とは』?
(´・ω・`)?
仏教で、心身を悩まし、煩わせ、苦しめる心の作用
一切の欲望、他者への怒りや恨み、執着などです
すごい作用ですね

考えたら、自分の心や体は全部自分のもの
考えを変えるのも、思いを作るのも自分が選べるはずですよね
つづく
感謝
