
母親になってはじめて
ひとりの子どもの話をちゃんと聞く事が出来たのでは?と思いました
まだ第一回目ってとこです
なぜ聞く事ができたのが珍しいのかって?
親になってしまうと
(^^ゞ
あなたのためよ!的な上から目線で
話を聞く体制にはなかなかなれないもので
(((^^;)
何でも話して?と言ったって
どこか
(変なこと言ったら承知しないぞ!)
(でもね!)
なんて風に
心の声がまる出しに、圧力めいていたり
畳み掛けるように次々と、子どもの言葉に
大人の価値観や正論で答えて子どもの言い分や、声なき声を消してしまい、それに気づく事なく
結果論的な会話で言い分が理解されずに終わることが多々です
そんな私も上記にもれず、同じだったって、今だって油断すると出てしまう
後から気づけば、気づくほど、本当にすまなかったって思います
子どものこころが知りたい、こころに寄り添うってどんな風にするの?わからないことだらけ
そんな自分を変えたくなって
親業から始まって、コミュ二ケーションやカウンセリング
傾聴、メンタルケア、と
自分のために勉強せざるえない必要に迫る機会がもてまして、今は感謝してます
それでも、まだまだですが
この夜は、花火の演出もあってか
私が過去
きちんと話を聞いてあげる体制がなかったから
なんにも話ができなかっただろうにと、思う事があり、ずっと私のこころに引っ掛かっていました
誰だって、何でもどんな事でも、ジャッジされないところで話したい時も必要だよね
どんな自分も受け止めてもらいたい
楽しいことなら問題はないけどね
辛くて嫌な過去の出来事も、話すとまた再体験してしまうよね?
だから今の私なら、緊急事態以外は、無理矢理言わせたり、聞き出すなんてありえない
そして私のように聞く側も、どんなことを聞いても彼女の問題として一緒に受け止める!
もし問題があれば逃げないで一緒に向き合うからねっ!て
そんな覚悟をもっていました
だけど、こころの内を話してくれた事は、大変な行動だし、それを話す勇気と力が、娘にもついてきたんだなと思いました
言えばすっきりするしカタルシスになるもんね
花火がとても綺麗だったね

感謝
