赤いハイヒール | 大和撫子''春''咲きます

大和撫子''春''咲きます

平成生まれの昭和人間の想い出がつまった寶物♡

 

おとぎ話の人魚姫はね

死ぬまで踊る あゝ赤い靴

いちどはいたらもう止まらない

誰か助けて赤いハイヒール …

 

 

今まであまり注目してこなかった

赤いハイヒール (太田裕美)。

太田裕美さんの楽曲に関しては今まで

赤いハイヒールよりも南風-SOUTH WIND-、

それよりもドールやさらばシベリア鉄道、といった感じで…

でも昨日のミュージック・モアでの弾き語りを聴いて

上記の歌詞の部分が特にハマって改めて聴いてみたら

凄く興味深くて何度も聴きたい曲になりましたΣ

 

赤いハイヒールって

前作の木綿のハンカチーフのアンサーソングという

見方をする方もいるようですネ。

 

都会の絵の具に染まったあなた と

「東京駅に着いたその日はおさげの少女だった私」

 

アンサーソングかどうかはまだピンとこないんですが…

歌詞に出てくる赤いハイヒール自体が

「私(そばかすお嬢さん)」自体の比喩みたいですよネ

(※真偽がどうかは不明)。

 

・東京駅に着いてふくらむ夢を抱きながら

赤いハイヒールを買うところから始まり、

・タイプライターをひとつ打つたび夢をなくし

自分の青春を石ころだらけと例え

(かかとのとれた赤いハイヒール)、

・おとぎ話の赤い靴を例に挙げ

いちどはいたらもう止まらない

誰か助けて(赤いハイヒール)と続く…

 

又、「(アラン・ドロンと比べられた)ぼく」も

そばかすお嬢さんの事を

・故郷なまりがそれから君を無口にしたね

(陽気に笑う君が好きだよ)

・澄んだ瞳は何処に消えたの?

と見ている…

 

それらをひっくるめて考えてみると、

今のそばかすお嬢さんは大分以前とは変化し

天真爛漫さ(明るさや純真さ)が無くなったような印象を受けました。

かかとのとれた赤いハイヒールのそばかすお嬢さんは

心の余裕のなさや現状にかなり疲弊しきった上で

「誰か助けて赤いハイヒール」なのかなと

(身体を支える役割のかかとが取れるって表現からしても)。

そもそも心の余裕があって充実している時に

「ねえ 友達なら聴いて下さる」なんて前置きもしなければ

「淋しがりやの うちあけ話」なんて表現も使わないですよネ。

 

その状態を打破出来るのが「ふるさと」で、

「ぼく」とふるさとへ帰れば

故郷なまりも気にせずに済むし

ふるさとで疲弊しきった心を取り戻して

本来のそばかすお嬢さんらしく楽しくいられる

(ぼくも陽気に笑う澄んだ瞳の君が戻ってくれたら)

→倖せそれでつかめるだろう

で、「ぼくと帰ろう」「曲りくねった二人の愛も」って

ちょっと遠回しだけどプロポーズみたい…

 

ただ、心情的に深刻なそばかすお嬢さんと

明るく楽観的な「ぼく」の間には

見てると精神的な温度差は結構ありますよネ(^_^;)

 

 

太田裕美さんはサビなんかは特に軽快に可愛らしく歌ってますが

考えてみると…中々深い!

正直そばかすお嬢さんの心情に共感出来るし。

アレンジや歌い手次第ではかなり情念の籠った曲にも

なりそうだとも思いました。

この勝手な個人的な解釈の真偽は不明ですが

解釈をする度にどんどんこの楽曲や歌詞が

より一層好きになっていきました

(勝手に色々想像してるうちが楽しかったりして)!

 

今一番聴きたい聴きたい曲は何と言っても

「赤いハイヒール」ですし

この曲は私にとってずっと心と共にいるような

一曲になりそうです。

 

解釈の真偽はどうであれ

赤いハイヒールの結末がHAPPY ENDだと良いナ…