ソ連があったころのハルピン?じつはツアー旅行でアルバムを開くと、北京、ハルピン、バイカル湖、イルクーツク、ナホトカと懐かしい地名と当時の思い出が蘇る。

 

中国からは、いわゆるシベリア鉄道でソ連に入国するのだが、自分の記憶が正しければ線路の幅が違い車両を乗せかえる作業があったと思う。たぶん有事の際の国防のためと思われる。今はどうなっているのだろう?調べれば簡単に分かるが調べる気もしない。

 

さて、ハルピンだが当時戦後40年ごろだったが、まだ日本人観光客はそんなにいなくて、ハルピン駅の周りには何のためか人が沢山いて、日本語を話していると、「日本語を勉強しています」と話かけてくれる人が沢山いた。

 

また、ハルピンには子供遊園地みたいなものがあって、「子供が遊ぶ遊園」ではなく、「子供が運営する遊園地」みたいな設定で、例えば、どこにでもある遊園地の汽車の駅員を子供がやっているかんじでとてもかわいかった。今よりよっぽどオリジナリティーがあると思うのだが、いまはそんな事をやったら中国でさえ問題になるのかも。今でもあるのだろうか?これも調べれば簡単に分かるが調べる気もしない。

 

とても、穏やかな旅行で、中国もソ連も旅行者の目に人々は友好的であった。

ただ、国境の警備は厳しく中国とソ連の国境で初めて本物の自動小銃の様な物を抱える人を見た。また、例のように、ここは撮影禁止と言うところで写真を撮り、フイルムを全部抜かれたり、堅め週刊誌でもグラビア写真があれば没収される日本人がいて、とりわけソ連側は少しピリピリしていた様に感じた。

 

こんな話は誰も興味が無いようで、誰にも話すこともなく何十年もたってしまった。

ちょうどいいからブログという雲の中へ投げ込もう。