満島ひかりさんと旅する優良情報

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 このような状況の中で、私の精神面はどうになったかというと、全て自分を否定し、孤独感を強く感じる方向に進んでいった。毎日先輩に怒られていると、本当に自分はだめな人間のように思えてきた。私くらいだめなナースはいないのではないか、という思いから、それがどんどん積み重なり、自分は人間としてもだめな人間だと思うようになっていったのだ。



 私は、この時期付き合い始めたばかりの彼(今の夫)がいた。彼とは病院に就職する直前に知り合い、付き合いはじめていた。彼は私よりも5歳も年下で、知り合った時ちょうど大学を卒業するところだった。彼はSEとしてIT系の企業に就職が決まっていた。二人とも就職を目の前にし、仕事に対する夢や抱負を熱く語り合ったりしていたのだ。



 こうして二人とも就職したのだが、就職してからの明暗ははっきり分れた。私は毎日が辛いことの連続。一方彼は、職場環境もよく、楽しそうである。楽しそうに仕事の話をする彼を見て、「何なの、この違いは?!」とねたましくさえあった。



 自分が不幸な時、他人の幸せは自分の不幸感をよりいっそう増すものだ。この彼との対比も私をよりいっそう追い込んだ。しかも、付き合い始めたばかりだというのに、私の休みが不規則なため、会えないことが多かった。これも私には応えたのだ。辛い仕事の疲れを彼と会って癒したかったのに、それもあまり叶わなかったのだ。 



 私は一人暮らしをしていた。それもよりいっそう私の孤独感を増していく原因となった。彼は実家暮らしである。「私もせめて実家から通えたら、こんなに孤独ではなかったかも・・・」と思ったが、実家からは遠くて通えるはずもなかった。



 時々、私の休みが土日に重なり、その日を彼とのデートのために特別な思いで楽しみにしていたりする。すると、彼が何の気なしに「あ、その日は友達と会う約束をした」などと言いデートできないことになると、絶望感でいっぱいになってしまうのだ。



 彼は悪気があるわけではないので、私がそのことで怒ると彼も私を理解できずに怒った。こうしてお互いの気持ちのすれ違いでよくケンカもした。このことが私の孤独感をまた増した。また、私が一人暮らしで寂しい思いをしているので、彼にはもっと私の家に泊まりに来て欲しかった。しかし、彼は当然といえば当然なのだが、結婚しているわけではないので、あまり私の家に入り浸りになることなく、実家が主体の生活が続いた。



 これも私にとってもは不満の一つだった。できれば一緒に住みたいくらいの孤独感だったのに、彼は実家に帰ってしまう。「私だって実家に帰りたいのに・・・。フン、どーせ私なんて・・・」といういじけた思いになっていった。こうして、仕事のことだけでなく、全てが孤独感につながっていくという悪循環の日々が続いた。


看護ジャパン

この頃悩まされたことに、幻聴と悪夢があった。私たちの病棟では、新人看護師が積極的にナースコールに出る、といった風習みたいなものがあった。新人ナースは一人前に仕事ができないのだから、せめてナースコールくらい出ろ、といった決まりだったのだ。



 だから、どんなに自分の仕事が忙しくても、その仕事を中断してナースコールに対応しなければならないのである。時には、ナースコールを引っこ抜きたい、と心から思うほどひっきりなしに鳴り響くこともあるのだ。



 それともう一つ、敏感に対応しなければならないことがあった。それはモニター類のアラームである。心電図モニターやら酸素飽和度モニターのアラームなど、モニター類のアラームは患者さんの異変をあらわす重要な指標だからだ。これに敏感に反応することを先輩看護師に徹底的に教えられた。うっかりアラームの音に敏感に反応しないものなら、ものすごく怒られた。



 こうしてナースコールやモニターのアラームに悩まされているうちに、家に帰ってもそれらの音が聞こえるようになったのだ。

 お風呂に入ってゆっくりしている時に、たしかにナースコールが鳴り響いたり、自転車に乗っている時に、モニターのアラーム音がはっきり聞こえたりするのだ。これは気のせいではなく、本当にはっきり聞こえるのだ。

 この時私は思った。確実に私の精神は病んできていると。こうして家にいてもナースコールやモニターのアラームに悩まされるようになった私であった。



 その他に、新人看護師の時には悪夢によく悩まされた。休みの日の朝方5時くらいにがばっと飛び起き、「やばいっ!!5時の締めがしてない!!」とパニックになるのだ。“締め”とは、重症の患者さんは2時間ごとにバイタルサイン(血圧や心拍などの生命徴候)や体の水分出納量(点滴や水分がどれだけ体に入ったか、また尿などとしてどれだけ出ていったかといったバランス)を締めて、異常がないかチェックすることである。



 休みの日の朝なのに、夢で自分が夜勤をしている気になっていて、夢と現実がごちゃまぜになりパニックになって飛び起きるのだ。しばらくして段々現実に気づき、自分に「落ち着け、落ち着け、今私は家にいるんだから」と言い聞かせ、ドキドキしている心臓を落ち着けるのであった。



 こういう悪夢がよくあった。まったくもって心臓に悪かった。このままでは私が病人になってしまうのではないかと、本気で心配したくらいであったのだ。

看護のお仕事

 私は精神科にかからなかったものの、多分あの時は軽い鬱病だったのではないかと思う。本当に一番の人生の危機だった。自分自身を否定する日々が続いた。何が辛かったって、今までにも繰り返し書いたが、人の命に関わる仕事のプレッシャーと先輩看護師の怖さ、それに不眠症で夜眠れないということだ。



人の命に関わるという看護師の仕事のプレッシャーは、就職以前に考えていたよりもはるかに大きなものだった。私はそのプレッシャーの大きさに押しつぶされそうになっていた。そのうち仕事全体に恐怖感を持つまでになってしまったのだ。私には、看護師になる覚悟が足りなかったのかもしれない。



 ある日勤の日の朝、患者さんの食事の配膳をしようとお膳を持って部屋に向かったところ、足が一歩も前に出なくなったこともあった。恐怖とストレスで本当に足が出なかったのだ。しばらくその場にたたずみ、深呼吸して自分に言い聞かせた。“ここで動けなくなり、具合が悪いと助けを呼び早退したら、私は二度とこの職場に戻ってくることはないだろう。だからがんばって動くんだ”と。



 しばらくして、また歩き出すことができた。本当にあの時あのまま座り込んでしまったら、私はきっと辞めていただろうと思う。心が体を支配していると感じた出来事であった。

 就職して1ヶ月たった頃には、初めての夜勤もはじまった。一番最初の夜勤は、プリセプターの先輩看護師にぴったりくっついて仕事の流れと内容を覚える、というものだったが、あまりの長さと大変さに、朝の日勤への申し送りの時に、朦朧としてしまい居眠りをしてしまうほどだった。



 次の夜勤からは、もちろん自分もスタッフの一人として仕事をした。夜勤は日勤とはまた違った大変さがあった。何よりスタッフの人数が少ない。その少ないスタッフで全てに対応しなければならない。それに往々にして、“夜間せん妄”という言葉があるくらい、夜おかしくなる患者さんが多いのだ。それに対応する大変さといったら・・・。夜の病棟には、昼間とは違ったプレッシャーと怖さがある。ちなみに、4年たった今でも、夜勤が怖いというのは変わらない感想だ。



 これらの大変さが原因で、私には看護師の仕事が恐怖となっていった。しかも、夜はあまり眠れない。やっと眠れたと思うと、仕事の夢を見てうなされたりする。こんな状況だと人は健康的な精神を保てないもので、私はどんどんネガティブ思考になり、私の自尊心はどんどん低くなっていった。


看護師 求人