自分の本音を知るワークで、
私が幸せにしたい人は、家族。
そう氣付いてからは、
自分の子供の泣き声にとても敏感に反応するようになった。
悪いあの人、可哀想なわたし、で進むのはもうやめたから、
冷静に、悪いあの人、可哀想な私で思想していないか
見るようになった。
わたしはどうしたい?どうする?で
コツコツと感情と行動を一致させていく日々。
自己犠牲せず相手を喜ばせることにコミットしようと思った。
喜んで欲しくてプレゼントした時、
心からのありがとうじゃなかった。
1回目じゃない。2回目だった。
喜んでもらえなかった。
私のやり方が至らなかったんだと考えた結果、
2回目で腑に落ちた。
共通していたことが、
私なら気にしないことに対してじゃないのかと。
喜ぶのハードルが高い日本人はやっぱり裕福だなと感じる。
相手に喜んでもらうには、
自分に対しての扱いも、ベースをあげないと
何に喜ぶか氣付くことができないんだなと知った。
コストのかからないちょっとした手間に
裕福な人たちは喜びを感じるんだ。と氣付いた。
誰か1人でも泣いてたら、私のやり方が間違ってるんだ。
でもね、荒探しというのか証拠集めというのか、
はたまた違和感というのか。
そこで氣付くこともあるよね。
相手を変えるのではなく、自分の"やり方"を変える。
シンプルなんだよね。