人の言葉を動かすには、借り物の言葉ではなく、「自分の言葉」が有効だ。そんなことがこの本には書いてある。
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本を読んで、中学校時代のことを思い出した。
中学校では「弁論大会」があった。クラスで予選を行い、各クラス1人ずつが選出されて学年で決勝を行うものだ。
僕はクラス代表に選ばれた。テーマは「上ばきについて」だ。当時教室の床が張り替えられたばかりで、教室には上ばきを脱いで入る決まりだった。
中学校は生活指導が厳しかった。脱がれた上ばきのかかとが踏み潰されていたら、先生が容赦なく回収してしまったのだ。
上ばきを回収されるのは、生活態度の悪い「ヤンキー」だった。彼らは気が強い。上ばきを回収されると、気が弱い子の上ばきを勝手に履いていく。つまり、上ばきの回収は生活指導でもなんでもなく、教師が弱いものいじめを助長している実態となっていた。
僕は理路整然とそのメカニズムを説明し、喝采を浴びて圧倒的票差でクラス代表になった。と、ここまでは良かった。
クラス代表になると、弁論の文章を割り増ししなければならない。その文案を、なぜか先生が行ったのだ。当時先生に逆らう気概はなく、さらにテスト前だったこともあって、決勝では書かれたものをそのまま読んだ。
今となっては悔やんでも悔やみきれない。先生が書いた内容は、「優等生的な」内容に書き換えられていて、先生の非を表す論調がなくなっていたのだ。
クラス予選とは打って変わって、反応は良くなかった。仲の良い友人にも「この優等生が」とからかわれた。
上ばきの回収はなくなったが、僕は消化不良感だけが残った。原因は、からかわれたことよりも、自分の言葉を変えてしまったことに対する後悔だった。
今は独立して、縛られるものはほとんどない。言論者としてこれほど強い立場はない。優等生を止め、言いたいことをありのままに伝えようと思う。