「ぼくたちの洗脳社会」といういかにも怪しげな本の内容がホームページで無料公開されている。中身を読んでみると、無料とは信じられないほどよく調べられていて、考えさせられる内容が並んでいる。

以下は本に書いてある内容と、自分の考えが織り交ぜられたものである。

この本ではパラダイムシフトを主なテーマとして書かれている。つまり、あるときの「常識」が突然変化して、ものの見え方が全く変わってしまうことがあるということだ。それを過去の人間の文明史で説明しているから分かりやすい。

狩猟生活を行っていたとき、人間はその日食べることが重要だった。食べ物を得るために移動を続け、争い、また天に祈った。それが「農業革命」により耕作が始まり、安定した食料を得られるようになると集団が生まれ、その中に階級が生じた。そして狩猟生活には後戻りできなくなってしまった。

中世になると人口が増え、養える人口に限界が来た。そして「足りないものは大事にしなければならない」という価値観が生まれ、今あるもので工面した。階級や職業は固定化され、代々同じ仕事を続けた。今から見たらかわいそうだという意見も出そうだが、当時の人々から見ればそれが当たり前だった。その範疇で幸せを得ようと、人々は宗教に救いを求めた。

やがて「産業革命」が起き、生産性が格段に向上すると、誰でもお金持ちになれるようになった。中世的な階級制度が崩壊し、宗教ではなく科学や論理が支配するようになった。人々は経済が豊かになることで幸せになると信じ、仕事に邁進した。

そして、今起きていることは「情報革命」である。IT技術の進歩により、情報があふれるようになり、SNSを介して世界中の人とコミュニケーションを取れるようになった。人々は経済の成長だけでは幸せになれない事を薄々気づきつつあり、世界中でフラットに共有された情報を介して自らの「幸せ」を追究するようになるのではないか。

パラダイムで重要になるのは「価値観」である。どの時代も、人々は「どうやったら幸せになれるか」という価値観に従って物事を見ている。狩猟生活では明日の食べ物、農耕が始まると秋の収穫が重要になる。中世は宗教を拠り所とし、現代は経済成長をもてはやした。

「嫌われる勇気」で読んだアドラーの考え方にも似ているかもしれない。人々は自分の価値観の中で生きていて、それに基づいて行動することが一番の幸せに繋がる。そこでは、周りからどう見られているかは重要ではない。むしろ、自分の価値観を、共感されなくても理解してもらうことこそが必要なのではないか。

では、自分の価値観とは何だろうか。現在のパラダイムシフトと同様に、自分の幸せももはや経済成長ではない。仕事のためにプライベートを犠牲にしては全く意味がない。起業するにしても会社が大きくなって忙しくなってしまうことは自分の価値観とは相容れない。

強いて言うならば、それなりのお金を稼ぎながらも、家族や友人との時間を大切にして楽しむことが自分の価値感である。お金と時間はトレードオフのテーマとして語られることが多いが、別に両方求めてもいいはずだ。つまり、「時間を確保しつつ、お金を稼ぐ(=効率的に儲ける)」ことが自分の価値観である。

それを達成するために、今はひたすら自分を磨いているのである。

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)/朝日新聞社

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