本日の読書感想文

 

 

 

 

同志少女よ、敵を撃て

逢坂冬馬
デビュー作にしてアガサ・クリスティー賞受賞
しかも全選考委員が満点をつけたという


 

きっかけはテレ東BIZ 

 

第三次世界大戦に発展しかねないとも目されたロシアとウクライナの戦争。

 

日本のメディアからの情報ではどうしても西側諸国寄りの視点になってしまうためフェアではありません。

そこで弟から勧められた、ロシアの言い分を解説してくれるという動画を観ました。

 

豊島さんの解説とても頭に入ってきやすいんです。

余談ですが、この動画をきっかけに豊島さんの解説動画にハマってしまいました。

 

この動画で参考文献のひとつとして触れられていたのが『同志少女よ、敵を撃て』でした。

 

 

普通の少女が怪物になっていく 

 

イワノフスカヤ村にいたとき、自分は人を殺せないと、疑いもなく思っていた。

それが今や殺した数を誇っている。

そうであれとイリーナが、軍が、国が言う。

けれどもそのように行動すればするほど、自分はかつての自分から遠ざかる。

自分を支えていた原理は今どこにあるのか。

それは、そっくりそのままソ連赤軍のものと入れ替わったのか。

自分が怪物に近づいてゆくという実感が確かにあった。

しかし、怪物でなければこの戦いを生き延びることはできないのだ。(p.267)

 

主人公のセラフィマは、ドイツとロシアの橋渡しをしたいと語る少女でした。

ドイツとロシアが戦争をしているからといって敵国のドイツ人を殺そうなどとは夢にも思っていませんでした。

 

それが一流の狙撃手となり、敵を撃つことに慣れてゆくと、今日のスコア=殺した人数を仲間に自慢するようになってしまいます。

 

“ユリアンて不思議ですね。銃を手に取っているときは歴戦の兵士に見えるのに、ああしているとまるで普通の、可愛い少年だから……”

セラフィマにそう言われたとき、胸を抉られるような衝撃を受けた。

その言葉が、彼女らを見て感じた印象とまったく同じだったからだ。(p.304)

 

これはセラフィマと一緒に戦った隊長の心理描写の一部です。

 

私はこの文に、いわゆる「普通の人間」が「兵士」になる恐ろしさを感じました。

戦争をしている兵士は怪物ではなく、私たちと同じ人間だという当たり前すぎる事実に、改めて気付かされたと思ったからです。

 

 

少女にとっての「敵」とは?(ネタバレを含みます) 

 
同志少女よ、敵を撃て。(p.443)

 

タイトルにもなっているこの文は、なんとセラフィマがドイツ兵を撃つシーンではなく、心優しき幼馴染ミハイルを撃つシーンにありました。

セラフィマとミハイルは、平和な時代ならきっと結婚していた間柄でした。

 

狙撃兵になるための訓練を終えるとき、教官イリーナは教え子たちに問いました。

「何のために戦うか、答えろ」(p.125)

セラフィマは女性を守るため、と答えます。

 

ドイツ兵に村を焼かれ、身内のようだった人たちもみんな殺されてしまった日に見た衝撃的な光景が、セラフィマが銃を撃つ動機になっていました。

二人とも衣服の全てを剥ぎ取られていた。頭と、それから足の間から、激しい出血の痕があった。(p.31)

 

つまりセラフィマが撃つべき相手は「女を脅かす男」でした。

 

はじめセラフィマの「敵」の定義は、国の定義する敵(=ドイツ兵)と一致していました。

しかし「ロシア人でありながらドイツ兵を愛した女性」さらには「ドイツ人でありながらドイツ兵に娼婦として扱われる女性」に出会い、セラフィマの敵の定義が揺らぎます。

そして仲間が見ず知らずのドイツ人少年を守ったのを見て、セラフィマの敵の定義が定まりました。

 

ミハイルと予期せぬ再開を果たしたとき彼は、決して女性を暴行しない、そんなことをするくらいなら死んだほうがマシ、と答えました。嘘偽りのない言葉でした。

そんなミハイルが自分を見失い、ドイツ人女性に馬乗りになっているのを目にしたセラフィマは、彼を撃ちました。

 

自分の信念を貫くセラフィマのかっこよさに感服し、同時に運命の残酷さを感じました。

 

一緒に体験してきたかのような、臨場感のある小説 

 

この本は厚さ3cmのボリューミーな本なので、大抵の本は1日以内に読み切る私でも、1日かけて読み切れませんでした。

 

でも、アガサ・クリスティー賞の選考員たちが満点をつけたという本の作者の手腕は素晴らしく、最後まで息をするのも忘れて本の世界にどっぷりとはまり込んでいました。

あまりに臨場感があるので、登場人物が亡くなる場面ではリアリティーがありすぎてゾッとしました。

 

こんなに惹き込まれる本は久しぶりで嬉しくなりました。

私がご紹介できるのはこの本で体験できることのほんの一部でしかないので、あなたが読んだらきっとまた別の気づきと体験があるでしょう。

 

以上、長くなりましたがお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

Hope to see you  again.

ことりヒヨコ