パート⑥暗いトンネルの始まり・・・ | 幸せだったかな

幸せだったかな

今日ちょっぴりでも幸せと感じられたらいいな~   

今住んでいるところに引っ越してきたのが息子が3歳になった頃・・・

以前住んでいた所で親子教室(発達検診にひっかかった子対象)に参加していたものの、なぜあたしたち親子がこの教室に来なくちゃならないのか疑問を持ったままの引越しだった。


今のところに越してからは子供の事で行政に出向く事もなくしばらくのんびりしていた。


ある日、息子がよく鼻血を出すので近くの私立病院の耳鼻科へ連れて行くと、耳鼻科の医者から

「3歳になっても言葉が遅いなら、聴覚検査、小児科と連携して脳波検査と脳の断面を撮ってみましょうか?」

と言われ、検査を受ける事にした。


脳波検査の時、眠くなる薬を飲ませても、なかなか寝なくて、検査の時間が来たのでワーワー泣き叫ぶ息子の頭に脳波の電極をペタペタ貼っていく技師のおっさん・・・


とうとう息子も泣きつかれれ寝てしまい、脳波を取る事ができたが、

後で、検査結果を見た先生は

「熱性けいれんが出ているけど、大泣きしましたか?」

あたし「大泣きでした(ーー;)」

医者「それが原因でしょう。脳波は心配ありません」


検査結果で言われたのはこれだけ。

後は何の問題もなしとのことで、

医療的にはほかにすることもないが、療育をすすめられた。


以前住んでいた親子教室のケースワーカーさんからこちらの療育機関を紹介されたのでそこへ行く事にします。と病院をあとに。。。


その日に市役所に電話をして市の療育機関を紹介してもらい、

早速門を叩いた。


そこは週3日通い、保健婦さんと子供たちが遊び、

親はミーティング。


初めは息子はその場所にいる事すら出来ずに、自分の靴を抱えて泣いている。

あたしもせっかく来たんだから遊べばいいのに・・・と悲しくなってしまっていると、一人の保健婦さんが来て

「あら~帰りたいのね(^^) 

靴持ってるからきっと帰りたいって訴えてるのよ。かわいいわね~(●^o^●)

ちゃんと自分のしたいことを行動で訴える事ができるなんてすごい事なのよ」


え\(◎o◎)/?

そうなの?


ほんのささいな言葉なのにその保健婦さんの一言であたしはとっても救われた気持ちだった。


これが前向きな考えだったのね。

(当時のあたしはマイナスにしか考えられなかったから・・・)


それから1年弱、その療育機関に通ったが、息子が自閉症だとか、発達障害だとか言う言葉は一言もケースワーカーさんからも心理の先生からも聞かされなかったので、まだまだその時点では息子が自閉症だとは夢にも思わなかった。


ケースワーカーさんも心理の先生も障害名を告知する立場ではなのでやたらなことは口に出来なかったようだが、発達障害、自閉症などはこういう特徴があります。くらいの資料や情報を与えてくれたら、この先、親が余計な苦しみを味わわなくても済んだのに・・・と今更ながら少し憤慨しているあたしである。


当時の事を言うと、「聞かれなかったから・・・」と逃げる心理の先生。

この先生はエッセーなど出している人だが、あたしはまるっきり信用できない人物である。


息子に障害があるかもというのを知らないまま、近くの幼稚園に入園したのである。


この幼稚園の入園からまたあたしの苦悩の日々が始まったが

同時に心の支えとなった友達もたくさん出来た。


幼稚園時代の話はまた今度♪