パート④ ジイジの死ver. | 幸せだったかな

幸せだったかな

今日ちょっぴりでも幸せと感じられたらいいな~   

一歳半検診の時に親子教室のお誘いを渋る少し前、

あたしの父が胃がんで後数ヶ月の命との宣告を受けた。


息子は母親のあたしより、父親のオヤジより誰よりも「ジイジ」が大好きだったのでもうすぐ会えなくなると分かっていたのかもしれない

そういう力があるのかもしれなかった。と今になってはよく思う。


毎日毎日15キロ離れた病院にジイジに会いに通っていたが、

本当なら、1歳半くらいといったら外で遊ばせたり、いろんなところに連れて行ったりともっとしなくちゃいけなかったのかもしれない。


面会時間は午後からだったので、なるべく午前中は遊ばせて午後面会・・・という生活を送っていた。


9ヶ月後、父は亡くなった。


それまで、病院のベッドにジイジと昼寝していたり、一時退院すれば、一緒に家の周りを散歩したりと本当に息子はジイジと居るときはとても嬉しそうだった


あたしも唯一の親孝行は孫と過ごさせてあげることだな・・・思ってた。

日に日に衰弱していく父を見るのはとても辛かったが・・・


病院から家に戻って布団の上に寝ている冷たいジイジに

「ほら、いっせいの大好きなジイジだよ」

と言っても見ようともしない息子。


もう息子にとっては大好きなジイジはいなくなっていると分かっているみたいだった。


それまでは、息子の言葉も5つくらい出ていたのに全く話さなくなってしまった。

それまでも、通販の雑誌の白抜きの文字をボールペンを上手に持って起用に塗りつぶして遊んでいたのに、ボールペンを持つこともなくなった。

(それ以降、あれほど、筆圧が強く、書けていたこともできなくなってしまった)


親の目から見てもジイジの死を境に息子は自分の世界にこもっているように思えた。


あとで思うと、多少は影響あったかもしれないけど、自閉傾向のある子は一歳くらいまでは順調に成長していても、その後、自閉傾向が現れてくるパターンもあるそうで、まさに息子はそうだったのかもしれない。

たまたま、そういう状態になる時期と重なっていただけだった。


その頃、素直に親子教室に通っていれば良かったのかもしれない・・・


気づくと息子は二歳になっていた・・・


親として失格だが、今となっては息子をこの頃、どうやって育てていたのかあまり記憶に無い・・・

親のそういう状態にも息子は察していたようだった。

2歳になった息子と親子教室の門を叩いたのは

父のお葬式が済んで3ヵ月後くらいだった・・・