この世界は、3つの人種で成り立っていると見ました。


一つは善人。


二つ目は悪人。


三つ目は偽善者…ではないかと思いました。



そして、この三者は「三すくみ」の関係で成り立っているのではないかと思います。



つまりは、善人は悪人には弱いが、偽善者には強い。



悪人は偽善者に弱いが、善人には強い。



偽善者は善人には弱いが、悪人には強い。



このようなバランスの元、この世界は成り立っているのではないかと考えます。



離婚調停にて、調停員さんに、僕も妻も真面目な善人であると言われました。



80点と、点数をつけるのはおこがましいですが、何となくそう考えてしまいました。



僕の見解では、僕が偽善者で、妻は善人であると思いました。



僕は偽善者なので、善人である妻には弱いです。



さて、偽善とは何でしょうか?



僕は離婚調停に行く際、ネクタイを着けます。



それが偽善者である証拠だと考えます。



そもそも、僕は普段ネクタイなどしない男です。



しかし、少しでも心証を良くする為に、ネクタイをします。



それが偽善であると考えます。



ようするに、自分をいかに普通の協調性のある男として、周りに認めさせるかを自分自身で調べ、行動することこそが偽善ではないかと考えます。



ユニセフに募金するとか、24時間テレビが偽善ではないと僕は考えます。あれは悪人が仕組みを考え、善人がそれに踊らされているだけです。ボランティアや奉仕活動を偽善だと言う人間は、大体が偽善者です。偽善者だからこそ分かる悪の本質なのだと思います。


しかし、偽善者は善人には弱いです。悪人に踊らされている善人がボランティア活動を行えば、偽善者達は、その行為を認めずにはいきません。



そして、偽善者達は勘ぐるのです。悪人が後ろにいるのではないか?



それは宗教団体であったり、やくざの様なNPO法人だったりと…色々思案を巡らせるのです。



…で、結果、後ろにそのような団体があっても、なくっても、関わらないようにするのです。



それが大人です。



大人とは、如何に偽善を身につけるかだと思います。



社会のルールと言う偽善を成人までに身につけ、独り立ちする。それが大人であるのだと思います。



僕の持論では、一般的に大人と言われている人間は、全てが偽善者です。そして子供は善人と悪人に分かれて存在しています。



子供達が悪人にも、悪人に騙される善人にもならないように、親は一生懸命に偽善を覚えさせるのです。



僕の妻は善人です。心底、そう思います。



だから、僕は妻に偽善者になるように様々なアプローチを行いました。



偽善者にならなければ、悪人には勝てないからです。必ず騙され、傷つくからです。



しかし、それは、彼女の人間性を変えるに等しい行為だったのかもしれません。



それでも、確かに間違いなく、僕は正しい行為であったと考えます。



…変えられなかったです。



今の世の中、三すくみのバランスが崩れているような気がします。



それは、偽善者たる大人が、いなくなってきたのではないかと思います。



それは考え方、生き方の多様性と言う言葉が浸透してきたからではないでしょうか?



モラルの崩壊などと、たまにメディアに取り上げられていますが、皆が好き勝手に生き、権利を主張し、それが正しいと言う考えが認められてしまっては、本当の意味での助け合いや、お互い様と言う人間が築き上げてきた財産とも言える法が壊れていってしまいます。



この生き方の多様性が認められる世の中は、我儘な世界です。



ようするに「自分さえ良ければそれでいい」世の中って事です。



では、そのような世界を誰が作っているのか? ですが、それは「善人」です。



善人が生き方の多様性、自分らしい生き方と言う、ある意味、我儘な言論を主張しているのです。



我儘? そうです、子供たる善人は子供ゆえに我儘で当然であるのです。



社会一般的に通ずるモラル、道徳を見につけず、自分勝手な子供のまま大人になってしまったアダルトチルドレンが我儘な主張をし始め、それを都合よく悪人達が利用している…そのような流れが今の世の中ではないかと考えます。



子供の連れ去りにしたって、考えの未熟な大人になりきれなかった子供大人のような人間の所業です。



そして、このアダルトチルドレン達は、決して少数ではなく、過半数以上いると言う現実を直視して、偽善者達は生きていかなければなりません。



なぜなら、偽善者は善人には必ず負けるからです。



もう二度と、善人に苦しめられ、苦痛を味わうのが嫌ならば、精神が未熟な善人には関わらない事です。



必ず負けます。