私は小学生の頃より、原爆、原発に関心があり、今まで自分なりに情報を収集し、自分なりに考察してきました。

原発の近くで地震があれば、原発が持たないであろうことは想像していました。

数年前に、中越で地震があった時、慌ててヨウ化カリウム丸をネットで取り寄せ、仲の良いママ友には、子供の人数×二週間分を渡しました。

起こって欲しくはない、でも、起きてからでは間に合わないと思い、放射性ヨウ素にしか効果がない代物でしたが、お守り代わりにとの願いを込めて。

その時点では、まさかこの様な日がくることを、私の周りにいる人は、誰も予想だにしていなかったでしょう。

私も、実家に避難しようと決断し、夫に事情を説明しましたが、夫は私の言うことを信じてくれませんでした。

なので、私は私の判断で、5人の子供達の未来を守るために、夫も、家も、モノも。。。たくさんのものを捨てて、実家に避難しました。

だからといって、実家が安全なわけではありません。
こちらにも、60キロの場所に、玄海原子力発電所があります。
強い地震が起これば、この原発も壊れてしまう可能性があります。

人間の致死率は100パーセントです。

要は、何処で、どんな死に方をするかという問題だと、私は思っています。

私は、福島原発の第一号機が爆発した時点で、ここは今後人が住めなくなるだろうと判断して、行動に移しました。
子供達も死にたくないと願ったし、私もこれから経験するであろう楽しいこと、嬉しいことを経験させないまま、死なせるわけにはいかないと思ったから。

だから、ここ、佐賀で死ぬことになったとしても、それは仕方がない。
その覚悟は、私はできています。

でも、できることなら、最後まで、あがいてみたい、生きる努力を続けようとも思っています。

佐賀に着いてからすぐに、玄海原子力発電所、小城市役所、県庁、多久市役所、県庁の記者室の数十人の方の前での記者会見、サガテレビ。。。私が思いつく限りの場所に行って、今後こうなってくるから、最悪の自体に備えて、今すぐ行動してくれ。出来ることなら私がそうしたいけれど、私にはその力がない。お願いしますと、頼みました。

でも、だれも信じてくれませんでした。
特に、NHKの人の対応は最悪でした。腐ってる、と思いました。

まあ、その時点ではもっともなことだったのですが、それでも、上からの指示を待つのではなく、自分の頭で考え、自分の判断をもって、できるかぎりのことをやってほしかった。

私が今ここに生きているということ、生かされているということは、まだ私には果たすべき役割があるのだと思います。

なので、私は生かされている限り、自分の役割を全うします。

あなたはあなたの役割を全うしてください。
自分自身の考えで。自分自身の判断で。自分自身を信じて。

あのとき長谷川は、あんな馬鹿なことをいってたけど、そんなことにならなかったじゃないか、あんなやつのことを間に受けなくて良かった、と、皆が笑って話せる日が来ることを心から願っています。