本題に入る前に、一つ聞きたいことがある。
この記事を読んでいるみんなには、人生が終わりかけたことがあるだろうか。
少なくとも俺にはある。
俺の人生はデフォルトでハードモードに設定されているため、普通に生活しているだけで何度もチャリをパクられたり、学校で下ネタ枠のゲイに冗談抜きのガチ告白されたり、部活をサボった報復で長距離記録会に勝手にエントリーさせられ、周回遅れのビリで大恥をかいたり、拾ったマッチで遊戯王カードを燃やしたら落ち葉に引火してガチで山火事になりかけたりと、俺の人生は"終わり"のバーゲンセールだった。
どれも一つ一つ思い出すだけで涙で目の前が見えなくなるほど辛いものばかり。
そんな俺にも、本当の本当に人生が終わりかけた出来事が一つだけあった。
あの日あの時俺の人生のターニングポイントとなった、汐入駅から徒歩5分、辺りには横須賀と横浜を繋ぐ高速道路や米軍基地、そして何に使っているのかよく分からない無駄にクソでかいビルが立ち並ぶ、頭のイカれたジジイとババアがよく徘徊することで有名な大型デパート。
今から話す事件があってから、それとはまた別件で閉館されてしまったらしいが、俺はその場所の名前を聞くだけで、あの時の光景を今も思い出す。
–––––中学2年の冬、日曜日午後2時
俺はなんてない休日を友達と過ごせる幸せを噛み締め、浮ついた気分に心を躍らせながら自転車を漕いでいた。市役所前公園から風に乗せられ運ばれてくる新鮮な腐った水の匂いを嗅ぎながら今日は何をして遊ぼうかと胸を弾ませた。頬に当たる冷たい風が気持ちいい。
その時の俺は気分がすこぶる良かった。
理由は簡単で近々の特色検査の模試で75点を取れたからだ。
特色検査で75点を取れることは凄い。
何故って、特色検査は平均点が40点ほどで翠嵐レベルでも65点を取れたら安全なほどだからだ。
今考えたら、あの時の自分は調子に乗り過ぎていた。少し妄想をする隙があれば現在の自分の状況から現実逃避し『高学歴→大企業就職→年収1500万→人生超イージーハーレム』という湯川秀樹もビックリの勝利の方程式を脳内に浮かべ、範馬勇次郎のような笑みを浮かべていた。
しかし、この方程式を解き勝利を獲得するためには必ず『コミュニケーション能力』が必要となってくるのだ。それが無くしては如何に高学歴になり年収が高くなろうと真の幸せを掴む事は許されない。そして、それは友人達との親睦を深め、人生の経験値を蓄えることでしか得ることが出来ない。
「おい、明日イオンで遊ぶぞ」
俺は未来への一歩を踏み出す事にした。
未来は与えられるものではなく、獲得するものなのだ
さて、俺が住む地域は特殊な土地であって、人が溢れ返って常に人混みで混雑している『横須賀中央』と貧乏人、ホームレス、低所得者、犯罪者が集まる「佐野」「不入斗」「上町」を纏めて呼んだ『流星街』とではっきり分かれている。
無論、人が多く店などが集まっているのは横須賀中央だ。
そして悲しい事に俺は流星街出身だった。
この二つの地域、実際には2kmしか離れていないのだが、その経済状況や街の実態は大きく異なるものだった。
横須賀中央は巨大な商店街や小綺麗なショッピングモール、そして天を目掛けてそびえ立つビル等が立ち並ぶ近代都市で、ヤバめなおじさんやおばさんも気になる程は居ない。
一方、流星街では公園の公共物を自宅にして数十年生きながらえてきたホームレスや内なる自分と会話し狂気に溢れ常識を捻り潰す『独り言おじさん』や手に包帯を巻きナイフを握りながらラジオ体操をする『ラジオ体操おじさん』そして、老いと閉経をものともせず"ハンティング"を続ける『性欲ババア』などの、他の町では考えられないようなヤバめ老害との遭遇率が異常に高く、安心して外出をすることすら出来ない。
また、流星街で開いている店の8割は死に絶えていて、流星街の一部である上町の上町商店街はほぼ壊滅状態だ。開いているのはコロッケ屋さんと服屋さん、そしてたい焼き屋さんだけで商品を売ってるのはそろそろ60を過ぎそうなオバちゃんとオジちゃんのみ。時間がここだけ大正や昭和で止まっている。
この二つの地域の格差は年々広がっていっている。
しかし、この性質の真反対な二つの地域にも共通していることがある。それは「遊び場がない」事である。
『このままでは遊ぶ事によってストレスが発散されず流星街と横須賀中央でアパルトヘイトが起こる』
流星街の民と横須賀中央の民が一丸となって市長に訴えた結果作られたのが我ら学生のオアシス、イオンだ。
このデパート、他の地域なら何の変哲もないただのデパートなのだが、開拓されたばかりの北海道くらい遊び場がない流星街や横須賀中央の出身者にとっては、このイオンだけが憩いの場となり、『オアシス』になったのだ。
道中に落ちた砂糖を拾った働きアリが本能のままフェロモンを撒き散らし巣へ帰るのと同じように、暇を弄ばした学生は休日をイオンで過ごしていた。
そんなわけで、友情を深める場所として普通ではあり得ないようなイオンを俺が選択したのは至極当然のことだった。
自転車を10分ほど漕ぎイオンに到着した俺は待ち合わせしていた、髪の毛のツンと張ったのが特徴の友達(愛称:サボテン)と合流し、2時間程遊んだ後に、暇を潰すはずのイオンで暇を持て余してしまっていた。
この状況をなんとか打破せねばと思い、『一旦フードコート行かねえ?』とサボテンをフードコートへ促した。
そして、フードコートを通る途中同じ中学の後輩のヤンキーが男女で戯れていたところをすれ違った。
(うわ...きまず...)
そんなことを思いながらフードコートへ着き、気合を込めながら女子高生の後ろへどかっと腰を下ろす。
「あ?」
視線。
呼吸が止まる。
女子高生に背を向けた状態で体が硬直する。
実際は女子高生はこっちを見てなどいないだろうし、「あ?」などとは言ってないはずだ。
だが、俺の背中は確かに「圧」を感じとった。
顔は正面を向いたまま固まって動かず、喉は壊れかけのエアコンのように薄い息を吐き出し続ける。
口と体から水分が蒸発していく。
漏れ出した体液が冷や汗になって背中を濡らした。
「水飲みたいからあっち座ろ」
かろうじて呟き、逃げるように席を立つ。
一度も振り向かないままに水飲み場の近くの端っこにある椅子に座り、安堵のため息をついた。
『俺は高学歴になって将来ハーレムに...俺は高学歴になって将来ハーレムに...俺は高学歴になって将来ハーレムに...俺は...』
呪文のように方程式を繰り返し唱え不安を消し去る。
心音が落ち着いたところで俺はおもむろにポケットからスマホを取り出した。
「お前、ドッカンバトルまだやってる?」
この頃、俺はドッカンバトルというゲームにハマっていた。
というのも、きっかけは適当にapp storeをサーフィンしてダウンロードしたというものだったが、そのゲーム性がただ画面を押してステージをクリアしていくという頭を全く使わずに出来るゲームだったため、勉強の合間にプレイする事が出来たからだ。
そんなわけで、この頃の俺は1日の大半をドッカンバトルかネット掲示板に住み着くニートとのレスバに費やしていた。
「いや、今結構やってるけどこいつ強すぎじゃね?こいつ当たんなかったらこのゲームやめるわ」
スマホを弄りながらサボテンが気だるげそうに呟く。
気付けば俺達はやれこの10連を引いてフェス限LRがでなかったら引退だのふざけたことを言いながら雑談を楽しんでいた。
「そろそろ違うとこ行かね?」とサボテンがスマホをしまい席を立つ。
フードコートの席に座ってから長い時間経っていたようで、辺りを見渡せばあの時座っていた女子高生も居なくなっていた。
顔を上げて外の景色を見ると空はいつの間にか少し暗くなっていて、公園では子供を連れた親がそろそろ帰るかと身支度をしている。肌寒い風が落ち葉を木陰に集めてカサカサと音楽を奏でていた。
そこには殺伐とした危険地帯の面影はなく、残っていたのは平和なショッピングモールで黄昏ている少年二人であった。
外が寒いからとコタツにくるまりミカンを食べる独り言おじさんや枯れ葉を掃除する性欲ババアを想像して頬を緩める。
「(この日常が永遠に続けばいいのになぁ...)」
「よしっ!じゃあ中央にでも行ってみるか!」
自然と笑顔が溢れていた。
うんと背筋を伸ばし、「そうと決まればさっさと行くぞ」と、重い腰を上げて席を立った。
そして、空っぽのリュックを背負い一歩を踏み出した。
そしてイオンを出ようとまた一歩、また一歩と、将来に対する不安や模試の成績による現実逃避を全て捨て去り“今“の自分と向き合うための一歩を踏み出したのだ。
––––瞬間。
「...あの」
女性の声だった。
ん?
俺?
「あの...」
嫌な、嫌な予感。
しかし心当たりがない。
歩みの途中で、体が硬直する。
「え...?なんですか?」
視界の端でサボテンが答える。
「えーと、その...」
呼吸が浅い。
心臓が膨張と収縮を繰り返す。
その異様な空気から、俺は“何か“を察していたのかもしれない。
後ろから聴こえてくる女性の声がだんだんと強い口調になってゆく。
「さっき...私達のこと、盗撮してましたよね?」
動悸が異常に早まり、ありえない速度で脈を打つ。
肩を上下させ、背を向けたまま、ゆっくり、ゆっくりと後ろを振り向く。
「どうなんですか?盗撮、してましたよね?」
彼女達の声が直接脳に響く。
独り言おじさんや性欲ババアよりも危険な相手。
片方はまさしく教科書に描かれる平安貴族をそのまま書き写したような、おかめ納豆のような風貌をした女。そしてその傍らに立つのは、東南アジア由来のエキゾチックな雰囲気を纏う、餓死寸前のポカホンタスのようなみてくれをした女。
そう、後ろを振り向くとそこには、『中学の後輩ヤンキー女コンビ』が怒りに顔を歪めたまま俺の後ろに立っていた。
–––後半へ続く