自らを分けると書いて自分と書く

宇宙生命体を細かく分けたのが自分である

 

自らに由ると書いて自由

宇宙の生命活動に由ることが自由

 

神社の本殿に奉られているのは鏡

 

つまり、鏡に映る自分に手を合わせいる

自分が神であるということ

 

カガミから我を取ると神になる

生きている以上我を取ることは出来ない

現象界、色界で生きている以上

我、エゴを消すことはできない

神にはなれないが本質は神ですよということ

 

私から三毒の煩悩(貪、瞋、痴)の3本をのぎへんから取ると仏になる

 

煩悩を取れば仏になるが生きている以上煩悩を取ることは出来ないが

人間の本質は仏であること

仏という対象があるのではなく

煩悩の内側のあなたの中に仏がある

 

人間は色界で生きるしかない

その為に生きている

 

 

人間の意志より0.35秒前に体が先に動き出している事実、受動意識仮説

 

体を動かしているのは誰なのか?

 

この宇宙を創った、根源の一つの命が全宇宙、万物を動かしているのだ

 

私とは自分で動かしていると思い込んでいるセンサーでしかない

 

と同時に根源の一つの命でもある

 

自らを分けると書いて自分

根源の一つの命を分けたのが自分

 

分け御霊とは神様の命を分けたのが人間や万物の命

八百万の神とは万物が神であるということ

 

つまり、全宇宙の全てが神であるということ

 

全宇宙が一つの生命体として活動しており

その中の一つの細胞を分断して区切っているのが自我意識

 

つまり、全宇宙は分離、分断されてなく

人間の自我意識、左脳により

人間の皮膚の内側を自分と認識し自他に分けているだけで

宇宙は一つの生命体として今もこれからも活動している

 

ジル・ボルト・テイラーというアメリカの神経解剖学者が脳卒中で倒れ左脳の機能を失ったとき

自他の境界、物と物との境界がなくなり

自分が宇宙生命と一体になった感覚になった

時間の感覚もなくなり瞬間、瞬間は泡のように現れては消える

物をお互いに離れた物として認識できず

あらゆるエネルギーが一緒に混ざりあって見える

幸福感で一杯の海を泳いでいるかのような至福感

 

人間も他の物質も宇宙の全てが素粒子レベルでは繋がっている

 

静かに振動する粒子の流れの中にいる

 

左脳は自分自身を、他から分離された個体として認知するように訓練されているが

 

本来は全てがエネルギーとして混ざりあっている

 

その流れの中に私達もいるのです

 

 

お供え物におを付けるのは神様へのお供え物だからおを付けると分かるのだが

 

御味噌汁、御飯と人間がいただくものにも御を付けるのは人間も神様の一部であると昔の人が考えたからだろう

 

つまり、昔のひとは万物が神であることを自覚していたのだ

 

現代のように

無数の命が個別に活動していると知覚しているならば争いは無くならないのでないか

 

一つの命が全宇宙、万物を動かしていると

エネルギーの流れの中にあると

宇宙の生命活動を知覚している状態が

悟りであり

道元のいう「天地同根」(人間と宇宙は一体)

「万物一体」(人間の生命と宇宙の生命は同じ)

空海のいう「即身成仏」(体そのものがそのまま仏)ということであり

誰もが根源の宇宙生命で生きているという感覚

 

誰が怪我を治し髪を伸ばし爪を伸ばしているのか

人間の意思活動は一切関与してない

 

このような昔の人とおなじような感覚状態ならば

 

人間として喜怒哀楽を味わいながらも

心の奥底で

『いまここにくつろげる』のではないか

 

元は一つで今も分離しているではなく今も一つというが非二元、ノンデュアリティであり

昔の人の感覚であった

 

元は一つで今は分離して個別の命というのがスピリチュアルで現代人の感覚

 

このような現代人の感覚の

分離意識の枠内で右往左往しても探求のジプシーから抜け出せない

 

『これでいい』という満足は得られないのではないだろうか

 

やるべきことがどんどん出て来てしまうのではないか

 

 

知覚出来ない根源の一つの命の生命活動を知覚するなかに『これでいいのだ』というバガボンのパパの境地になれる

 

昔の人たちの感覚になれる

 

殺人鬼も聖人も宇宙の生命活動の現れ

 

誰も悪く無いし誰も良く無い

 

根源の一つの命の私が引き起こしたと観れるかどうか

 

根源の一つの命の私の視点を強く持たないと

左脳は自分を他から分離した個体と認知するように子供のころから訓練されているから

分離意識に持っていかれてしまう

 

誰が呼吸し心臓を動かしているのか「身にて学道せよ」(道元)

 

全宇宙で起こるあらゆる出来事は

根源の私から出て来た事であり

根源の命の私が見たい夢を今観ているのだ

 

 

思考、感情、気付きですら根源の私のもので

分離意識のセンサーの私のものではない

 

センサーの私が自分のものとしているだけ

 

つまり、人間の意志、思いとは根源の私の意志であり思いなのだ

 

つまり、全宇宙があなたの意志に同意しているということ

 

根源の命が私であり、根源の命の一部を私と思っているのも私であるのだから虚無に陥る必要はない

 

私の意志、思い、思考、感情は根源の命のものであるのだから「天地同根」「万物一体」(道元)

 

根源の命の私には自由意思はあり

自由自在であり何を思っても良く

『自分の見たい夢を観れる』

 

全ての出来事は根源の私の命から出て来た事であるのだから

私(根源の命)を信頼し委ねればいい

 

「最高な事が起こっている」と思ってもいいし

「最悪な事が起こっている」と思ってもいい

どちらでも自由だ

 

 

委ねて生きる中に本当の自由がある

 

自由とは自ら(根源の命の私)に由ること

 

自由に思考していい、私の思考は根源の命の思考なのだから

 

根源の命の私が全宇宙、万物を動かしている

 

全てが私とはこのこと

 

根源の命の私の生命活動を知覚することで

宇宙意識になれる

 

あの人もこの人も私も

根源の命の私が動かしている

 

きれいも汚ないもなく

善悪もない

 

全ては根源の命の私が

見たい夢を観たくて起こしている

 

監督、脚本、主演、全て私

 

主演(センサー)は監督、脚本の記憶を消して

役に成りきり楽しんでいる

 

身心脱落、体と心を緩めて夢を観よう

 

昔の人たちのように

現代人が

分離意識の枠外に出たとき

根源の一つの命の私の生命活動を知覚したとき

悪魔の手出し出来ない私になる

 

悪魔すら私であるのだから

 

悪魔という嫌われ役を務める私を抱きしめてあげる

 

善に対する感謝は悪に対する感謝に通じる

 

宇宙を構成する全てのどれが欠けても宇宙は存在出来ない

 

この世に不要なものはなにもない

 

この世のどれが欠けても

私達は夢を観ることが出来ない。