みなさんこんにちは!編集長のメモリスです


夏と言えば、みなさんは何を思い浮かべますか

海、山、キャンプ、旅行、、、



そう
花火の季節

でもありますね!!!
花火大会でこんな声を耳にしたことはありませんか?
「たまや~」
「かぎや~」
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夜空に咲く花火。
沸き上がる拍手や歓声に混じって「たまや~」という掛け声がかかります。
「たまやって何?」
「昔の花火屋さんの名前でしょ」 ←正解です。
「ふ~ん。花火のときはみんなそう言うの?」
「いや、違う掛け声もあったな。かぎやだ」 ←こちらも正解です。
「へぇ~。今はないの?」
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今回は鍵

メーカーのわが社にちなんで
「かぎや~」について書いてみます!
始まりは・・・・
■紀元前3世紀 中国
火薬の発明が戦の武器となり、やがて通信手段のノロシが夜にも用いられるようになって火薬を煌かせる技術が花火へと発展しました。
■享保18年(1733年)
両国の大川(現在の隅田川)にて川開き花火大会(隅田川花火大会の原型)開催されました。
そこで活躍したのが日本橋横山町の花火師、鍵屋六代目弥兵衛です。
守り神であったお稲荷の狐が鍵を咥えていたことから、「鍵屋」と屋号を付けたと言われています。
もともと「鍵屋」は葦(アシ)の管に火薬を詰めて星が飛び出す花火を開発し、
商才もあって花火市場をほぼ独占していました。
しかし、花火が火事の原因になるため町中では花火禁止令が出され、隅田川の花火だけが許されます。
当時は納涼船を出して「鍵屋」に花火を上げさせるのが、豪商たちの贅沢の象徴だったのです。
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☆☆☆
ここで問題です!!
Q. 日本で始めて花火を鑑賞したのは誰でしょう。
A.
徳川家康 です
中国での火薬の発明から始まり、
日本では種子島の鉄砲に使われた火薬が花火へと発展しました。
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■文化5年(1808年)
「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、両国吉川町で
玉屋市兵衛を名乗る。
やがて
川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当し、二大花火師の競演となる 。
花火を見ている観客から「より美しい、素晴らしい」と思ったほう花火を賞賛する意味を込めて
「たまや~」「かぎや~」と応援するための掛け声だったのです!
■天保14年(1843年)
「玉屋」の出火で大火事となり玉屋市兵衛を江戸から追放。廃業する。
つまり、「鍵屋」から暖簾分けした「玉屋」が存在したのはたった35年間だったのです。
しかし、昔も今も花火の掛け声といえば「玉屋」のほうが断然多いですよね。
「鍵屋」の弟子で後発の
「玉屋」しかも火事を起こして追放されてしまった
「玉屋」しかし、現役のころから「たまや~」の掛け声のほうが多く、その後も掛け声の代名詞として現在に至るのはなぜでしょう???
ひとつは
「花火の技術が勝っていた」もうひとつは
「語呂が良いので掛け声を掛けやすかった」だそうです。
こんな狂歌があります。
『橋の上 玉屋玉屋の声ばかり
なぜに鍵屋と いわぬ情なし』 これは、実力があったのにたった一代で花火のように消えた「玉屋」への愛情を示したものだそうです。
「情」に「錠」をかけており、「鍵屋の声がねぇのもしかたあるめぇ。錠がねぇんで口が開かねぇ」という詠み手の洒落を含んでいるそうです。
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ふむふむ。


みなさんどうでしたか?
これから花火大会に行けば、叫んでいる声が、
耳に入ってくるかもしれませんね!
意味を知った上での、
「たまや~」「かぎや~」
はまた違って聞こえてくるかもしれませんね!
ぜひお試しあれ!!!!
みなさん、ぜひ浴衣を着て、花火大会へ繰り出してくださいね

暑い日が続きますね~またまたのんびり台風も来ております!!!!
みなさん気をつけてくださいね~

では、また来週~

