東口本宮 冨士浅間神社(須走浅間神社)
木花咲耶姫命
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私がこの場所に来て
結構な年月が経つ訳です。
私はここで
富士山と共に
この山の声域を
お守りしております。
この山には
神さまがいらっしゃいます
そして山の神様がいらっしゃいます
ひと柱の神様というより
多くの神様の存在により
この山は守られて居るわけです。
私がこの山の神様であり
山を代表する存在というわけでは
ございません。
私はこの山の結界を守り、
浄化を助ける存在です。
この山のエネルギーを
町に漏らさないという
反対の結界の意味もあります。
最近富士山というのは
気軽に多くの人が
登山をする様になり
多くの人が訪れる場所となりました。
このように
富士山の周りを囲んで存在する
神社は
この富士山の力を恐れ
祀っているものです。
元々はここから
富士山を恐れと尊厳から
崇めたという歴代があります。
何故恐れたか
というと
大自然に対する
人間の後ろめたさ
大きな自然に対面した時の、
日頃身近な自然に
尊敬や敬意を払っていないと
自らが振り返り
自然の声を日常で聴いていないことへの
恐怖や無力さ
人間の自然に対する
非力さ
その様なものとの
対話の意味が
込められております。
自然とは美しいものです。
特に遠くから見ると
美しい。
それは自分の場所が安全であるという
安心感から、
自然をその様に
崇拝出来るのです。
しかし人間の心の底には
自然に対する恐怖があり
その恐怖が正に
富士山を美しく
輝かせているのです。
恐怖とは
自分の心の中で
無視できない存在です。
無視することができない
これが富士山なのです。
心の中にいつも存在し
恐れ慄き崇拝するのです
このように大きな存在でありながら
富士山には
多くの人が訪れます。
私はそのように訪ねてくる人達を整理し
正しく案内を行っているのです。
その人ならではの楽しみ方があり
そこへ案内整理を行っているのです。
私は何故こんなに
富士山を助けるのか
富士山のスポークスマン
となるのか
コレが私に定められた
ひとときの役割であるのですが
それと同時に
この地を訪れる人を
少しも元気付けたい
静養して英気を
養っていって欲しいという
気持ちもあります。
何故なら
自然に対する恐怖
これこそが、
根源に戻る
地球意識に引き戻す
力強い道導となるからです。
自然に恐怖することで
自分の小ささや
無力さ
そして何より
地球に住んでいることを
思い出すことが出来るのです。
恐怖という感情は
排除するべき
と思いますか?
恐怖に対する
負い目、判断
否定しようとする習慣
これこそ疑うべきところです。
恐怖というのは
正しく用いることで、
気付きが得られるものなのです。
富士山には
元々荒神がいらっしゃるのです。
地球を表現する
その様な存在といえば良いでしょうか。
火の神と言いますか
ちょっと怒ってる
と言いますか。
この荒神を鎮める
そんな意味もあり
私はここへ呼ばれたのです。
私にとっては
苦労の多い年月でもありました。
人の言い分も分かりますが
荒神様のおっしゃることも
大変良く分かります。
鎮めよう
そんな意図の多いこの場所ですが
自然に対して
素直になった時の
花の様な
美しい心も
ここで養うことが出来るでしょう。
そんな圧倒的な力を目の前にした時の
素直さ
これが都会からそんなに遠くない場所で
体験できるわけです。





