初めまして。
数あるブログの中から
お越しいただきありがとうございます。
Emma (エマ/笑満)と申します。


英語を使って、ご自身の人生を、数倍楽しむ方法をお伝えしています。

なんだかんだあっても、英語が好き。
だから私の人生は、英語抜きでは成り立たない展開となりました。

時系列で、少々、ご紹介しますと・・・


英語が話せるようになりたいよ~ (漠然)

海外の学校へ留学したら、英語がペラペラになれるんだろうな (夢)

日本を出て、知らない世界で暮らしたら、どんな世界が待ってるの (膨らむワクワク)

外国人の親友ができたら、一晩中語りつくしたい♡(野望)

自称、英語ができる人じゃ、ちょっとね。
資格をきちんと取って、公けにも認められたら、自分のこと一人前だと思えるかな~?
(承認欲求 その1)

プライベートの充実だけじゃ満足できないかも。
プロフェッショナルの現場でも、英語を使ってお仕事できたらきっと完璧♡
(承認欲求 その2)


これらは全て、当時の私が思い描いた、ただの「夢」でしかありませんでした。

でも、今ではおかげさまで、全て、実現しています。

あまりにもその実現方法を聞かれるので、本当に知りたい方へ、
きちんとお伝えすることにしました。


現在は某外資系グローバル企業で、エクゼクティブ秘書を務めながら
英語と異文化が好きな方々へ、英語を使った自己実現方法を、のんびりお伝えしています。


初めましてのご挨拶の代わりに、私が今このような活動をすることになった
経緯と思いについて、ご紹介させて頂けましたらと思います。


 超庶民の家庭から、英語で、泣いて、笑って、喧嘩して、
普通に生活できるようになるまでのきっかけ(種時代)



昭和の、ざっくりまとめれば後半に生を受け、外国とは無縁の平凡な家庭に育ち、
西洋への憧れを当たり前のように持った80年代の家庭に育ちました。

親の影響でニュースばかり見て育った私は、ロナルド・レーガン大統領って、
日本語が上手いんだな~と、何の疑問もなく思っていたぐらい、
外国語に関しては無頓着な、いえ、イノセント(美化し過ぎ~^ ^)な子供だったんです。

恥ずかしい話ですが、世界中の人々が日本語を話すと信じていたことからも、
多様性という概念とは無縁の子供でした。

当時はインターネットというものがありませんでしたし、
先生と、親と、図書館しか、解決の糸口はなかったのですから、
世界の広がり方は今の子供からしたら、浦島太郎並みの速度だったと思います。

でも、だからこそ、世界への憧れと渇望の気持ちが、途切れることなく続いたんだと思います。


あの頃、テレビの情報や、学校の勉強だけでは、
決して広い世界を知ったつもりにはなれませんでした。


大橋巨泉の、世界まるごとHowマッチを見たからって、

草野さんの、世界ふしぎ発見を見たからって、

年一の、アメリカ横断ウルトラクイズを見たからって、

普通の外国人がどのように暮らしているのかなんて、全くわかりませんでした。


海外文学をたくさん読み漁り、留学した時に気が付いたのですが、
欧米の文学については、私のほうが余程、現地の学生より親しんでいたぐらい、
知りたくて、知りたくて、知りたくて、西洋へ憧れていました。

だから、知りたいという気持ちは、あらゆることのモチベーションに
繋がるんだなって、実感しています。

現在は、どんな山奥に住んでいても、簡単に、海外情報へ触れられる時代です。

昭和に子供時代を過ごした私だって叶えられたのですから、
あなたの夢も、必ず叶うと信じています。