元々、語学が得意だったり

海外歴が長かったりで

日本のことには疎いと

思われがちな私なのですが、

特にここ数年で出雲や奈良を

訪ねたこともあり、日本の古い文化に

興味が増してしまいました。

(以前からではあるのですが。)

 

あと、実は海外にいたり

外国人に接したりしていると

聞かれるのはけっこう

日本のことなのですよね・・・😓

 

そこで今朝は和歌二首。

 

 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば

    ただ有明の 月ぞのこれる

          (後徳大寺左大臣)

 

百人一首にも入っている歌です。

昨日目にする機会があり、あらためて

いい歌だなぁ・・・と。

 

多分、考え事をしていた? 本人が

突然のホトトギスの鳴き声にハッとして

そちらを見ると 明け方の月(有明の月)

が空に残っていた、という。

 

この頃(平安期)、夏のはじめの

ホトトギスの声を聞くというのは

宮廷人の風雅の証として

競い合われたのだそうです。

 

内面、外面両方の空間が

感じられる素晴らしい歌です。

 

所収は千載和歌集。

 

二首目は万葉集の

 

 熟田津に 船乗りせむと 月待てば

    潮もかないぬ いまは漕ぎいでな

             (額田王)

 

万葉集の女流スター、額田王による

歌。

なんでも朝鮮出兵のときの

船出(出陣)の歌らしいです。

 

参考文献はまたまた

井上靖とかですが(『額田女王』)、

当時朝鮮半島で

唐+新羅連合軍に百済が

潰されそうになっていて、

日本に救援を求めてきました。

(いわゆる白村江の戦い、663年

だそうです。)

 

さんざんな論議と引き延ばしの結果、

中大兄皇子と大海人皇子は

要請に応じ出兵することを決意。

 

当時も朝鮮半島や周辺との

行き来や外交はかなりあったようです。

 

結果は、惨敗。

敗残兵と、逃れてきた百済からの難民も

日本に渡ってきました。

 

・・・というような背景で

読まれた歌でした。

(負ける前の歌ですが。)

 

井上靖は額田王を、

中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)

両方から愛された巫女的な女性として

書いていましたが、

なにせ7世紀とかのこと。

真実は分かりかねますね。

 

しかし、素晴らしい和歌を

多く残している女性ですから、

きっと素晴らしい人だったに

違いありません。

 

・・・というわけで朝から

雅な時間をお届けできたでしょうか?

 

今日も一日良い一日を✨