現在の、外出自粛で

家にあるものをあれこれ手に取って

いますが、

本も手当たり次第。

(新しいのも多少、買ってますが。)

 

以前、大学院で使った

心理学の歴史の本を

ふと手に取り、ダーウィンについて

読み始めました。

 

彼の人生、なかなか波瀾万丈で

面白いですが、

それは置いておいて、

ダーウィンと言えば進化論の人ですね。

 

それまで、キリスト教世界では

聖書のなかに書かれていることが

そのまま信じられてきたのです。

 

すなわちこの世界の歴史は

数千年くらいしかなく、

世界は「天地創造」にあるように、

神が7日間で作ったと。

そして、人間は最後に作られ、

ほかの動物(生物)とは別格であると。

 

ダーウィンは、若くして大航海に出、

そこでいろいろな地形や生物、

化石などを見た結果、

生物が最初から完成形でできることは

多分あり得ない、という結論に至ります。

 

というのも生物が一つ一つ

精巧にできていて、

かつ近縁の種と「ほんのわずかだけ」

違うからです。

 

すなわち、進化というプロセスがあり、

「自然淘汰 natural selection」が行われている、

という理論に到達しますが、

前述のような世の中の通年があったため、

ダーウィンはなかなか自説を

発表できなかった、と言います。

 

ラマルクという、自説にほぼ近いものを

出してきた人の存在があってはじめて、

発表に踏み切ったとのことです。

 

あらためて思ったのは、

この時点でダーウィン(および進化論)は

「自然」が淘汰しているのであって、

人間を種を作ったり変えたりする

主体としてはいない、ということです。

 

これってとても重要なことだと

思います。

 

人間が自分の都合や経済のためだけに

自然をねじ曲げているから今のような

事態になっているのではないでしょうか。

 

人間が自分にとって「良かれ」

と思った方に進化(変化)しようとしても、

それが「自然」に叶ったものかは

分かりません。

 

「最適なものが生き残る」というのは、

別に「強い」ものが生き残る

といった意味ではないのだと思います。

 

極論すればどんな人間が「最適」

であって、生き残るのかは

人間には分からない、ということになるでしょう。