2009年に行われた事業仕分けの際、様々な科学者から一斉に反発が起こりました。

確かにあのような感じで仕分けを行われては、我々大学教員は干上がってしまいますし、それ以上に日本というものが築き上げてきたものが壊れてしまうでしょう。

それ故、あの反発自体には異論は全くありませんでした。

しかし、果たして大学で行なわれている研究は本当に全てが意味のあるものだと言えるのでしょうか?

実はそんなことが無いということを今日は書こうと思います。


小さな研究室で行なわれている小さな実験であれば、予算そのものが極端に大きくなることは無く、それに関わる教員、任期付きの研究員、大学院生の数も少ないのが一般的です。

そうであるならば、もし自身の研究室で行なわれている実験が、世界的に見て立ち遅れてしまった場合や、他所からの何かしらの新発見によって無意味なものとなってしまった場合、すぐに方向転換することが可能です。

これは民間企業では良くある話です。

もしその時点で方向転換をしなければ、大きな損失を生み出す種になりかねないですし、無駄なことを続けるようなことをすれば、企業として信用を失うことにもなります。

それ故、企業の経営陣は苦渋の決断を下さなければならない責務を負っていますし、リスクが大きくならないためにもある程度の決定権を各部署の責任者に持たせることで、極端に大きな方向転換をしなくて済むような構造を作っているわけです。


では大学の複数の研究室で行なわれている大きな実験や巨大プロジェクトの類になると一体どうなるでしょうか?

まず予算そのものが莫大になります。

そして少人数では実行出来ないため、教員はもちろんのこと、任期付きの研究員や大学院生を様々な大学から集めます(多くは教員ではなく、任期付きの研究員と大学院生で構成される)。

つまり複数の大学との共同実験を行うわけです。

これは国内だけに限らず、国外からも協力を要請する場合もあるでしょう。

この状況で、もしその実験が意味を成さないものになったとしたら…。


予算に関してからお話します。

巨大な実験になればなるほど、実験の予算は国、つまり税金で賄われるようになります。

事業仕分けで話題になったスーパーコンピューターや、すばる望遠鏡などが民間の方にも知れ渡った良い例でしょうか(これら2つの場合は、まだその研究を行う意味を失っていないため、巨額の予算を投資する価値はあると思います)。


次に人材に関して。

大学の教員というのは、任期付きと任期無しのものに分かれます。

ですから、任期付きのものは先に挙げた任期付き研究員と立場は変わりません。

給与体制が異なるため、便宜上任期付き教員と任期付き研究員を分けるのですが、ここでは以降、教員と言ったら任期無しの方を指すことにします。

さて、巨大プロジェクトには多くの人材が絡みますが、多くが教員ではありません。

ここ、重要です。

つまり、そのプロジェクト自体が無くなってしまえば職を失ってしまうのです。

例えどれだけ能力がある者であっても、プロジェクトが無くなれば少なくとも一時期職を失うことになってしまいます。


これらを踏まえてプロジェクトそのものに科学的な価値が無くなった場合、貴方ならどうしますか?

大学は意味が無いと知りつつも、それが意味のある研究であると主張し、国民の皆さんを騙します。

何故か?

プロジェクトが無くなれば、それに付随した人材が路頭に迷ってしまうからです。

また、自らの業績となるものが消えてしまうという理由もあるでしょう。

そんなものは業界内から見れば何の業績でも無く、無意味な形だけの業績であるにも拘わらず、外から見れば立派な業績になるのだから不思議で堪りません。

そして予算が税金であることも重要です。

一度でも無意味なプロジェクトであると判断されてしまえば、次に似たようなプロジェクトには二度と予算が付かなくなる可能性があるのです。

また、一度付いた科研費等の予算は、使用する対象に制限があり、方向転換しずらいというのも理由に挙げられるでしょう。


方向転換出来ずに数年間巨大プロジェクトを動かすと一体いくらくらいの損失が生まれるのかご存知ないですよね?

もちろん幅がありますが、数十億~数千億円ほどの幅がありますが、いずれにしても小さな実験であれば使い切れないほどの予算が消えていってしまうのです。

一億円という金額は、年収五百万円の科学者を1年間20人雇うことが出来る金額です。

科学者の年収なんてそれほど多く貰っている人は少ないので、年収二百五十万円の若手研究者なら40人も雇える計算になります。

そのくらいの金額の十倍以上が無駄に垂れ流されていくのです。

片や世界と戦えるだけの技術があるのに百数十億円程度の予算が組めずに世界と戦えないプロジェクトが存在し、片や全く科学的に無意味なプロジェクトに百数十億円ほどが費やされていく。

これが正常な判断で行なわれていると言えるでしょうか?


民間企業でも方向転換するのは巨大企業であればあるほど難しくなります。

ですが、利潤を求める企業は必ず利益が出るような方向へ進もうと自浄作用が働くものです。

大学にはそのような自浄作用はありません。

自らの保身しか考えられない人間の塊りだからです。

大学教員がマトモな人間だと思ったら大間違いです。

大学という組織の中で育ち、大学という組織の中に就職した人間は、その多くが世間ずれしています。

簡単に言い表すならば、本質的に精神が子供なんです。


昨年の事業仕分けが正しいやり方だとは思いませんが、大学にはもっとメスを入れなければならない部分がたくさんあります。

科学者自身でフェアに仕分けを行い、無意味で無駄になってしまうプロジェクトはきちんと辞める勇気を持つこと、そしてそれが許される構造を持つことがこれからの大学には求められているはずですし、そうでなければならないのです。


プロジェクトに関わった方達が路頭に迷う、それは確かに問題です。

ですが、方向転換が出来る構造があるならば、別のプロジェクトを立ち上げ、そこで再度雇うことも可能なはずです。


ちなみに、最近大学で行なわれている研究内容は、あまりにも専門性が高過ぎるため、一般の方が理解するのは困難であり、それが価値あるものであるかどうか判断出来ませんから、大学教員が一般人を騙すことなど容易です。

そう聞いて「そりゃそうだ」、そう思った方が多いですよね?

実はこれ、部分的には本当ですが、本質的には嘘なんです。

一般人の方に分かりやすく話すことは可能なのです。

例え研究手法の具体的な内容が分からなくても、世界的にその実験がどのような地位にあり、現段階でそれが世界に先駆けて結果を得られる実験であるのか、もしくは世界と競争出来るだけの性能を持っているのか、その程度は資料さえきちんと作れば一般の方にも十分に理解して貰えます。

それを行わないのは、自らの実験に価値が無いと知れてしまえば、予算を削減され、そのプロジェクトそのものが潰されてしまうからにほかなりません。

そういう人達にとっては、専門性が高過ぎて一般人には理解出来ないと思わせておく方がメリットがあるのです。

また、予算を獲得する際にも、ほんの少しだけ面白そうな餌をばら撒き、実際に重要であるかどうかを一般人に判断されないように隠しだてしていることはザラにあります。

騙すために分かりやすい資料を作ることをしないのです。

このような体質を持つ大学、そしてそれを構成する大学教員、私は変わらなければならないと思っていますし、だからこそ一般の方へこのような実態を分かって貰いたくてこのブログを始めました。

私は文章が苦手なので、無駄に長く分かりずらい文章を書いてしまって申し訳無いのですが、出来るだけ多くの皆さんに読んで貰いたいと思っています。

どうか民間の、一般人の皆さんから大学というものを、大学教員という人間を公の場に引っ張り出し、改革を行わざるを得ない状況にして欲しいと切に願います。