マスターからの伝言シリーズはマスターがお話された言葉をシェアしてます。
そのうえで、別記事でPADOMAが思っていることをPADOMA的解釈として書いています。
2011年の震災の直後、陸前高田てところでね。八木沢商店という老舗の醤油さんがあるんですよ。
伝統的手法で代々醤油を作ってきた。
ものすごいおいしい醤油つくるところがあって、そこに何代目かの名物社長がおるんです。
ものすごい個性的おっさんなんですけどね。
震災が起こる前も、
彼の人間的魅力がいろんな人を引き付けて、もちろん醤油のおいしさもあって、名物な人だったんです。
ああいうことが起こったでしょ、
津波が来たでしょ、
八木沢商店は流されたんですよ。
樽がいっぱいあったんですけど樽が流されたんですよ。
ああいうのは、麹が死んでしまうと復活できませんよ。
でも、
結果てきに、彼のなんかよく分からない底じからで、培養中で、あと何年かすると復活するんですけどね。
八木沢商店のおっさんがね、自分が伝統を守ったその工場が流れて、
跡形もなく、たるも流れて、彼にとって、自分を失うようなものなんですよ。
あれは多くの人にとっていろんな価値観が壊されたことだったけど、
あのおっさんはがれきの中を歩くんですよ、ぐるぐる歩いて納得いくまで、色々しながら歩いて、
流された後を見て、自分が育った街を見て、変貌ぶりをみて歩くんですよ。
歩くだけ歩いたらね、彼は「ははははh」って、自分の工場のところでものすごい笑い声で笑うんですよ。
そうやって、数日たった後会ったんですけどね、
「かんちゃんさ、人間ていうのはさ、本当に何にもなくなると、残っているのは笑いなんだなってことに、人生で初めて気が付いたよ。」
っていいましたよ。
彼はどれだけのものを背負って、どれだけの思いで、どういう仕事してきたか、てことを考えるに
相当な男なんですけど、
あの体験から出てきた言葉っていうのは忘れられないですよね。
だからといって、このワークショップで、人生なんて笑いなんだから、笑いましょっていったら陳腐な話でしょ。
人間なんて、調教されて笑うっていう笑いなんか、笑いでも何でもない絵空事。
ある生き方をした人がある体験をして、
体験から出てくる言葉には重みがある。
これは、どういう形でもいいから、皆さんの中に入っていったらいいなと思います。
なんとなくインプットされた。
分かりませんよね。
わかんないじゃないですか、
だけど、さっき(ワークショップ中に手遊びでうまくいかなくて自然に起こった笑い)
こんなことをやる中で、あちこちで笑いが起こった、ていう中にもおんなじものを見るわけなんですよ。