〔1〕節度を守った権力者
日本の歴史の中で、蘇我氏や藤原氏など時の権力者が皇室に近づき、政治を動かすということがありました。
藤原不比等は、大化の改新の中心人物だった藤原鎌足の次男です。
不比等は長女宮子を文武天皇の后にし、聖武天皇が誕生しました。聖武天皇は藤原不比等の孫です。
不比等はさらに聖武天皇の皇后に娘光明子を嫁がせます。
しかし・・・
不比等は、決して自分が天皇になろうとか、自分が天皇の父になろうとはしませんでした。
皇室に近づくのは、自分の孫を天皇にするところまで。
『我が国は皇族と臣下の区別がはっきりしている』からです。
皇位継承権を持つのは“皇族男性”のみ。
この一線を越えれば、皇族と臣下の境界を突き破ります。
それは、「皇統以外の男系」の男子が皇室に入り込み、皇位が「皇統に属する男系」にとって代わることになります。
藤原氏の血筋が神武天皇の血筋にとって代わることになります。
≪ 神武天皇像 奈良市石本町 ≫
皇位につかれた126代全ての天皇は、神武天皇の男系の血筋を継承している方です。
この皇統の歴史を‟確認”したのが、皇室典範第一条です。
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
〔2〕“女系天皇”とは、民間男性の子が天皇になること
5月以降、“女系天皇”を認めると公言する政党が現われました。
制度として、皇族女性にも皇位継承権を付与し、御結婚後も皇族の身分にとどまり、女性宮家を創設できるようにしようというのです。
理由は、「皇族男性が少なくなってきたので皇位継承の安定をはかるため」というのですが、真意はどこにあるのでしょうか。
“女系天皇”とは、「民間男性の子を天皇にする」ことです。
“女系天皇”を認めれば、民間男性が皇室に入る扉が開かれます。皇族女性のお相手(夫)は、民間男性となるのはほぼ確実だからです。もし、お相手が皇族男性ならその方が宮家の当主になるはずです。
女性皇族のお相手が、小室圭氏でもいいですか?
小室圭氏が天皇の父でもいいですか? という話です。
民間男性は日本人とは限りません。
アメリカ人、韓国人、中国人が天皇の父でもいいですか?
女性宮家に民間男性が入れば、宮家は限りなく民間に近づきます。
「夫」のほうを尺度に「家」を見ます。血筋とは“男系”のことであるととらえているからです。これは日本だけでなく世界共通の認識です。
女性宮家にお子様が誕生します。その方が天皇に即位されると、男女を問わず“女系天皇”です。
“女系天皇”とは、『民間天皇』のことです。(民間男性の子は民間人)
日本人が『民間天皇』を受け入れ、この方を「陛下」と呼ぶことが出来るでしょうか。
「日本も国際的になったねえ」と称賛する外国人がどれだけいるでしょうか。
昔の言い方なら、臣下が天皇になる。臣下による皇位簒奪であり、“道鏡事件”の再来です。
“女系天皇”は、正統性の有無という問題に発展します。皇位継承者として「認める」「認めない」で国論が二分すれば、結論がでるまで天皇不在の事態が起きるかもしれません。
これを防ぐため、皇室典範第十二条があります。
第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
条文の重要さが分かると思います。
〔3〕宮家とは血の伴走者
竹田恒泰氏は「日本書紀入門」でこう述べています。
「天皇の地位は、徳があるからとか、国民を思う気持ちが強いからとかによって成り立つものではなく、血統の原理(父親の父親の父親・・・とさかのぼれば初代神武天皇にたどり着くこと)がすべてです。能力主義ではなく、どんなに努力しても、どんなに人格高潔であっても血統の原理から外れた人物は天皇にはなれないのであって・・・」
皇位継承者の正統性とは、このように明確です。
だから、天皇や天皇のご兄弟に男児がお生まれにならなかったときは、皇女ではなく、たとえ血縁が遠くても、神武天皇に繋がる男性を探し、皇位を継承したのです。第25代武烈天皇と第26代継体天皇は10親等離れていました。
皇統断絶の危機に備えて、宮家の制度が作られました。鎌倉時代の頃です。
「宮家(=世襲親王家)」とは、皇位継承権者を確保し、天皇家に男児がお生まれにならないときのために備えました。
皇位は、天皇家といくつかの宮家が伴走して繋いでいくという体制を創ったのです。
もし天皇家に男児がいらっしゃらない時は、宮家の中の一つから天皇を出す。そして、これまで続いてきた天皇家は絶える。
宮家から天皇を出した例は、過去3回ありました。
伏見の宮家から後花園天皇、有栖川宮家から後西天皇、閑院宮家から光格天皇が誕生しました。
“男系”のみで継承してきた日本の皇統。
いまでこそ、Y染色体で説明する方もいますが、
「遺伝学がなかったはるか昔から、父親から息子にしか伝わらない何かがあると直感的に知っていた」
とすれば、本当に不思議なことです。
〔4〕伏見宮家の歴史
終戦のころまでは14の宮家がありました。
直宮家(天皇の子女兄弟が創設した宮家)が三つと、伏見宮家とそこから枝分かれした11の宮家です。
伏見宮家の歴史をたどってみます。
(系図1 下) 南北朝時代がありました。このとき伏見宮家が創設され、終戦まで続きます。
< 系図1 >
伏見宮家創設の後、2つに分かれます。そこを拡大したのが系図2(下)です。
< 系図2 >
伏見宮家は、北朝第3代崇光天皇の皇子である栄仁(よしひと)親王がはじまりです。
伏見宮家は、栄仁親王から第三代貞成親王へ続き、そこから2系統に分かれます。
真下に続く線と、左に延びる線に分かれます。
真下の線は、後花園天皇から今上陛下へと続きます。
左の線は、後花園天皇の弟宮が伏見宮家第四代当主となり、幕末の伏見宮邦家親王へとつながり、11宮家に分かれます。
まず伏見宮家が先にあって、【正系(天皇位)】の後花園天皇系と【補系】の伏見宮家4代目に分かれました。
伏見宮家が“傍系”として分枝したという人がいますが、違います。
分枝したのは【正系】の後花園天皇の系統の方でした。
後花園天皇の系統から枝分かれして、桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家が創設されました。この3宮家は、今上陛下の【正系】に対して、“傍系”と言えます。
しかし・・・
伏見宮家は、【正系】に対し【祖系】の立場にあります。
3宮家に対して別格の宮家でした。
男子がいらっしゃらなくなった桂宮家、有栖川宮家は絶えました。
もしも閑院宮家の光格天皇に始まる今上陛下の血統が絶えるとき、祖系にあたる伏見宮家系に戻す。
これが自然な流れのように思います。
〔5〕伏見宮家の正統性
昭和22年10月、占領下にあってGHQの圧力のもと、直宮家を残して11宮家の皇族の方々が皇籍離脱し、民間人となられました。
このとき、皇族男性の減少問題は当然予想されていました。
それが現実になったのです。
もし、皇籍離脱がなければ今日の皇位継承問題は起きていません。
旧宮家の正統性は、皇室典範第二条の二項が示す通り明らかです。
第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
○2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
11の旧宮家の方々は、70年前まで皇位継承権をお持ちであり、天皇を出す宮家として暮しておられました。現在、旧朝香宮家、久邇宮家、東久邇宮家、加陽宮家、竹田宮家の5つに男子の方がいらっしゃいます。菊栄親睦会という親交団体があり、旧皇族の方々と皇族の方々との親交は続いています。
早急に検討すべきは、旧皇族男系男子の方々の復籍です。