沖縄に顕われた弁才天さん | 大山蓮華

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ちょっと不思議な体験や感じたことを
古文献や民話や伝承などや遺跡の発掘資料などを参考にして
謎解きをしています

 

 

 

 

     沖縄の

     宜野湾市真志喜の羽衣伝説

 

  ~~~ 要約 ~~~

    森の川で沐浴していた天女の羽衣を隠した 貧しい農民の奥間大親

    天女を連れ帰り妻にして 一男一女をもうけたが

    ある日 羽衣のありかを知った天女は 天に帰ってしまいました

    月日は流れ

    男の子は若者に成長して 

    有力な地域の首長の娘に望まれて結婚をしました

    若者の家に帰ったとき 妻が目にしたのは

    今にも崩れそうなボロボロの家屋と その周囲の畑に転がっていたたくさんの黄金

    妻から黄金の価値を知らされ

    その黄金でたくさんの鉄を買い農具を作り 周囲の農民に分け与えました

    その後 この地域の王位につき察度王として

    1350~1395年の間 この地域を治めました

  ~~~~~~

 

 

    

   天女が顕われたのは宜野湾市の森川公園の森の川

   ここは石積みで囲まれた聖地で 拝所だった

 

   森川公園の近くには奥間(大親)家の拝所がある 

 

 

   奥間家拝所に祭られているのは

   真志喜大神・真志喜五郎・奥間大親・天願按司泰期

   

   天願按司泰期は察度王の異母弟

 

   奥間大親は天女の夫で察度王の父

 

   真志喜大神はアマミキヨ(琉球国創生の女神)の末裔

 

   真志喜五郎の父は鎮西八郎為朝で母は真志喜の奴留と記されている

   なんと 清和天皇の末裔の源為朝!!!

   為朝と琉球王朝の娘の一人との間の子が 真志喜五郎!

  

 

  中山の王になった察度王と同じく

  琉球王朝の尚清王の王妃も天女(またはその末裔)との伝説がある

 

     「琉球祖先宝鑑」 によると

     宜野湾市真志喜村のノロ也 居所は同村の奥間という家也

 

 

 

 

 

   「ノロ」というのは

  女司祭・祝女・祭祀を司る神女

 

   森川公園の東は御嶽の森になっている

  石垣の先は 神女の修行の場だったらしい

 

 

 

 

 

          羽衣伝説の奥間大親は 中山・察度王の父

 

               では この天女とは誰?

 

 

 

 

 

 

   天女伝説のひとつに銘苅子という話がある

      天女が泉で髪を洗っているのを見つけた 農夫の銘苅子

      羽衣を隠し 夫婦になる   

                        ・・・という話

  

 

 

 

 

            銘苅・・・

 

          銘苅には霊感の強い人が多いらしい・・・

          先祖代々 神懸りになる人が生まれやすいという・・・

          銘苅さんは ご先祖は神女(ノロ)をしていたという・・・

 

 

         ん・・・・・・!

          上に書いたが 

          琉球王妃は天女(またはその末裔)との伝説があるが

          真志喜村の「ノロ」だった

 

 

         天女とは 神女のことか・・・

         森の川の天女とは  銘苅の 祭祀を司る神女だったのか・・・

 

 

               < 天女とは 銘苅の娘 >

 

       

        

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

       沖縄・那覇市にある 天久宮

 

            旧地名が天久だったらしい

 

 

   天久宮(あめくぐう)の由緒から抜粋

  

  ~~~~~~

     往古 銘苅村にいた銘苅の翁子が閑居していた

 

     あるとき 女人が洞窟に入る途中で消えるのを見た

     翁子は驚き~

     社殿を造営して祀った

     すると神託があり

          「我は熊野権現なり

           衆生の利益のために現れたり

           かの女人は国家の守護神なり

           弁才天である」

     

 

 

 

 

             やはり・・・

             銘苅の人は 霊感が高かった

 

 

 

 

 

 

            女人は山上の森に住む者・・・

 

 

 

 

       1713年の「琉球国由来記 巻11密門諸寺縁起」には

       天久宮の創建を成化年間(1465~1487年)として

       その創始について同じ伝承を伝えている

 

        成化年間とは

       日本の元号でもなく 琉球の元号でもない

       中国・明の元号だった

       「明史」に「中山王察度、弟の泰期を遣わして入朝」とある

       当時の琉球は明の影響が強く 明の元号を使っていたのだ

 

 

 

       琉球王国では

       お城勤めの女性が 神さまをお祭りする仕事に就いていた

       ノロのお告げで王位継承の順番が変わってしまうこともあるくらい・・・

 

 

 

 

 

 

 

          沖縄に 弁才天が顕われたのは

       1465年~1487年のことだった・・・らしい

 

 

              山上の森に住む者・・・

 

              山の神ということだろうか・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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