1787 Fugio Cent New Haven Restrike (PCGS MS63 Brass)

やはり米国硬貨の紹介第1号はFugioである。Fugio centは、連合会議が発行した最初の公式の流通硬貨である。当時、偽造硬貨や軽量銅貨の流通は、労働者や商工業者にとって深刻な問題であり、これに対して幾つかの州と同様に、連合会議も1787年に公式硬貨、Fugio centの発行を決定した。

1776年に大陸会議から発行された大陸貨幣紙幣Continental Currency banknotesの$1/6, $1/3, $1/2, $2/3のデザインは、主にBenjamin Franklinによるものであり、このデザインがContinental Currency dollar 1ドル硬貨や、このFugio centに引き継がれた。ラテン語Fugioとは”I fly”の意("time flying”の説もあり)。表側には光輝く太陽と日時計が配置され、メッセージ”MIND YOUR BUSINESS”の銘刻がある。この”business”は「仕事」ではなく、ましてや、現代風の使い方の「余計なお世話だ」”mind your own business”でもない。Franklinは”MIND YOUR BUSINESS”に“pay attention to your affairs”の意味を込めた。裏側には”WE ARE ONE”の文字を”UNITED STATES” が囲み、さらにその外側を、当時の13の植民地州を表す13個の小さい輪がつながったリングが取り巻いている。独立を守るためには、州を超えた連邦国家への統一と国家への忠誠が必要であることを示している。ほとんど同時期にMassachusetts州議会から発行されたMassachusetts Copper centも、Fugio centと同じ重さで、両者とも当時の国際的標準であったSpanish dollarの1/100の貨幣単位であるセントとして発行された(Massachusetts Copperにはセントが銘刻されているが、Fugioの方にはない)。1787年、Connecticut州のCoining Coppers社のJames Jarvisは、財務省理事William Duerに$10,000の賄賂を渡すことによってライバルのNew Jersey州のMatthias Ogdenを押しのけて、Fugioの鋳造委託の契約を勝ち取った。しかし、会社内のJarvisの義父Samuel Broomeは、Jarvisが商談のため渡欧している間に、連合会議から預かった材料の銅30トンの内、4トンしかFugio centの鋳造に使わずに、約40万枚のFugio centを連合会議に納めた後、残りの銅を、銅含量が少なく、儲けが多かった1787 Connecticut Copperを約350万枚鋳造するのに密かに転用した。この契約違反の行為によって、Fugio centは1年だけで発行が中止となった。短命であったこともあり、残念ながら、連合会議発行の最初の硬貨は広く流通しなかったが、米国硬貨の先駆者としての輝きは、収集家を惹きつけて止まない。本硬貨は1787年銘となっているが、実際には1859年頃に作成された「New Haven Restrike版」である。「Restrike版」は、C. Wyllys BettsやHoratio N. Rustが、Fugio centの1787年製の古いオリジナル金型を発見し、これから再打刻して作ったものであると、かつては信じられたことがあった。事実は、Connecticut州Waterbury にあるScovill製作所が、1859年頃に貨幣学者Charles I. Bushnellの要望を受けて金型を新たに作って、「Restrike版」として打刻したものである。Restrike版では、表側の太陽の下顎が尖っており、裏側の輪が細いのがオリジナルと異なる。