好きな、易の卦に「大過(たいか)」がある。

 

易経は、短い文でできている。

後の世の解釈は、

膨大であるけれど、

それは

人々がその時代に合わせて解釈したもの。

 

周の時代の壺。

 

数千年前に作られた易経を

いかに時代に合わせるか、

各時代の学者は、皆、苦労している。

 

道ばたの大きいクスノキ。赤い提灯が釣ってある。日本だったらしめ縄になる。

 

用いられる字は、

漢字で書かれているが、

易経が作られたのはそれ以前、

漢の前の周の時代である。

周はその前の、

政治や生活のすべてを占いで決定した殷(いん)の

文化を引き継いでいる。

 

甲骨文字。これも占いの一種である。亀の甲羅や獣の肩甲骨を火であぶって割れ方を見る。

 

だから、

易の原意を知るためには、

易経にある漢字の成り立ちから調べなければならない。

 

たとえば、「道」と言う字は、

殷の王が、

道路に異民族の「首」を埋めて

その死者の首に道路を守らせた、

という意味がある。

 

この村の道路ばたにも大きい木が植わっている。赤ちょうちんはない。

 

易経の項目の「大過」の過は、

道路に呪いの骨が埋めてあるという意味である。

大きい呪いがかっている道に来たから

そのつもりで進め、という意味なのだ。

 

だから、

「大過」が占いで出たら

極力用心して進まなくてはならない。

 

雪が積もっている田舎道にある赤提灯。うちの田舎では、しめ縄を張る道がある。

 

「大過」の卦を読むと、

「棟木(むなぎ)たわむ」、という文がある。

 

大きな古い家が

重さに耐えかねて棟木がたわんでいる、

という意味である。

 

 

たとえば、他人事でもないけれど、

お父さんが、

安月給で懸命に家族を支えている姿が

目に浮かぶ。

 

家族を捨てて逃げることもできない。

仕事を休んで、

もっとよい新しい仕事を探しに行く暇もない。

 

辛いけれど、

逃げられない人が

現代にもどんなに多いことか。

がんばれがんばれ、と言いたくなる。

 

道路端で魚の干物を売っている。ここは海が近い町だ。向こうにバイクが見える。

 

嫌なことがあって

ちょっと逃げたくなる場合もあるが

それは、

「小過」と言って

少しの我慢や用心で大丈夫。

 

しかし「大過」のときは・・

世のお父さんたち、

しばらくは

どうしようもないけれど頑張れ、

と思ってしまう。

もちろん、自分にもそう言い聞かせる。

 

日本は雨が多いし台風も来る。一方、中国では日照りの土地スモッグの土地が多い。

 

今日は、午後から雨、という予報だったが

すでに雨のところが多い。

一日、平和でありますように。

 

<今の運勢>

「大畜」。大きく蓄える、天にそびえる山になるという意味。大きい目的を目指して進む。できそうもないことでも、実行すれば、いつの間にか目的に近づく。あきらめなければ成功する。

 

下の易経本卦は私が書いたものだが、売り切れていることに気付かなかった。