所ジョージが
胆石の手術をした記事を読んだ。

私もまったく同じ症状だった。

彼の場合は、二日間ほどひどい腹痛で

狂ったあと

外科に掛かって、すぐ入院した。

 

私は内科にかかって、

胆石症だと診断されたが、

胆石を溶かす薬を処方された。

 

これは失敗だった。

数か月も発作に悩まされ、

結局、自分から手術を申し出て、

大きい病院を紹介してもらった。

 

仕事が猛烈に忙しい時期で、

五月の連休の休みを利用して入院した。

 

六人部屋で、

いびきのひどい男の隣りで、

他の騒がしい連中が

同情してくれたが

どんなところでも眠ることができるので

まったく平気だった。

 

こんなに広くなく、隣のベッドとは50cmしか離れていなかった。

 

時間を無駄にしたくなくて、

パソコンと本を持ち込んで、勉強した。

たまたま

英語の冠詞についての論文を書いていて、

書き終えたが、

同室の男たちが、

急に勉強をするようになったり、

医師がのぞき込んで感心してくれたり、

面白かった。

 

その論文は、

広島大学の友人に送って、

彼は、それをヒントに本を書いた。

ただ、その友人は変わり者で、

専門家でない私の理論に従うのを是とせず、

表現を変えていた。

 

 

冠詞 a は「個体」を表す、

というのが私の主張だったが

彼は「個体」という言葉を避けていたので

「なぜ言った通りに書かないのか」と、

読んだあとでメールを送った。

 

 

手術は腹腔鏡手術。

所ジョージと同じく、胆のうを全摘した。

 

われわれの身体は

血液が老化すると

胆のうにいったん貯めておき、

食事のときに消化の補助液として

出して使う。

だから、便には古い血が混じることになり、

茶色をしている。

 

 

手術は、

二人の若い医者がやってくれた。

 

手術台の上で

「あれ麻酔が効かない、もう少し」

という麻酔医の声を聴いたあと、

目が覚めたら、

そばにきれいな看護婦がいた。

 

いったん目が覚めたら退屈で退屈で仕方がない。

その看護婦に、

「本を取って来てくれないか」と頼んだ。

 

 

今でも題名を覚えている。

「イスラムの日常生活」

 

 

退院のとき、看護婦長が、

「集中治療室で本を読んだのは、あなたが初めてです」

と話し掛けてきた。

 

そんな・・

みんな退屈ではないのか、と思った。

 

あの手術は最高に良かった。

以後、一度も腹痛は起こっていない。

 

 

手術前に医者から、

たまにきれいな胆石も出てきます、

と言われて、

期待していたのだが、

泥色をした汚い石くずだったので、ちょっとがっかりした。

 

さっき聞いたら、

その胆石はのけてあるそうだ。

 

<今の運勢>

「升」。旗をかかげて進むようなたいへんよい運勢。