上流の野村町は

中心部がぜんぶ浸かったという。

肱川流域が広範囲にやられたのだ。

 

近所だけでも

50㏄のバイクで行ってみた。

 

5分ほど走るとこのありさま。

柚木(ゆのき)地区、みんな泥だらけ。

 

 

西大洲もぜんぶやられていた。

西濃運輸の大きい集荷場も、私の車の車検をやってくれる整備工場も、小児科の医院も。

 

こんな大きい流木も引っかかっていた。

 

 

これは東大洲。

信号機が消えたまま。

 

東大洲の先の田んぼはまだ水の底。

住宅では濡れた家具を出すのに忙しそうだった。

 

ここはよく行くスーパーマーケットの駐車場。

一列に並んだ下水溝が水を吸い込んでゴミを残している。

 

Aコープの角の看板はコンクリートの土台ごと倒れていた。

年中無休はもう無理。

 

すぐそばに靴が片方だけ。

 

大洲盆地は水が上がってきて浸かるのが普通だが、

ここでは横からの勢いが強かったらしく、金属の支柱ごと折れ曲がっている。

向こうのホテルもドコモ店も一階部分は浸かった。

この敷地のDAIKIも浸かった。

 

昔はパナソニックの工場だった。

周囲はコンクリートの低い塀だったので、

もっと高くしたほうがいいと言ったら、本当に高くした。

(半導体を使った工場だったので損害が大きいと考えた。)

 

しかし、DAIKIには

伝わっていなかったらしく、逆に塀を取り払ってしまった。

水位がこの金塀を越えていた。

 

その後、

新しい施設がどんどん建ったが

洪水を予想した会社は1つもない。

 

近所に建設中の

喜多医師会病院のとなりに

大洲市が、

洪水調整池を兼ねた遊園地を作ったが、

先日、

家内と弁当を食べに行って、

こんな池では、

何の役にも立たない、

無駄金だ

と話したばかりだった。

 

ほんとうに、

面積にすれば大洲市の一万分の一にもならない。

 

すき間から水が入ってこない建物を作るよう

指導するほうがよい。

 

そうだ!

もし建築士を目指す学生さんがおられたら、

洪水対策住宅や店舗の設計も考えていただきたい。

都会でも、

今後、

大いに必要な研究になる。

 

<今の運勢>

「困」。困難である。日本中が頑張るしか仕方がない。