連休中に、呉善花さんの「日本人を冒険する」を読んだ。
2回目である。
彼女は済洲島生まれで日本の学校で学び、両国の文化の違いがよくわかる立場にある。

済州島の古民家

2箇所を要約してみよう・・
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日本人は、世界に類のない緊張の文化を持っている。
日本語に、 「だらしがない」とか「慎みがない」、という言葉があること自体に、それが現れている。
韓国では、「帯をしっかり締めよう」と言えば、お腹がすいているけれど我慢しようという意味だが、日本では、緊張して頑張るときに使う。
人に初めて会うとき、日本人は緊張して気を引き締める。
(それがよそよそしく感じられる。)
しかし、欧米人、イスラム人、中国人、韓国人は、できるだけリラックスしようとする。
日本人は人を信じるが、外国人は家族以外の者を決して信じない。
そして、裏切らないことを相手に見せるために、できるだけなれなれしい行動を取って、結びつき強めようとする。
イスラム人、中国人、韓国人が男どうしで手をつなぐのも、(欧米人の握手も)、その心の動きの現れであろう。
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福沢諭吉は、韓国の留学生を自宅に住まわせ、彼らが勝手に押し入れや金庫を開ける習性を、文化が劣った行動だと判断してした。
留学生たちは単に、なれなれしく振る舞って、家族的な親愛の行動を見せただけだったのだろうか。

(2)-----------------------
日本の会社の社長の挨拶・・
「会社とは大海を航海する船のようなものです。1人1人がそれぞれの部署で力を発揮してこそ航海が可能となります。1人の力が欠ければ船が傾jき、沈没すれば全員が命を失うことにもなります。1人1人の力に船の運命がかかっているわけです」
こういう話を聞いて、「よし頑張ろう」という気になる外国人はない。
この会社で働くメリットは何かを、理論的に理解できるかどうかが重要なのである。
「中国人(や韓国人)はかなりの理屈屋で原則論者なので、物事の道理や筋道の通った話をされると弱いんです。みんなで仲良くコツコツとやっていけば幸せになれる、のような話にはまったく実感がわきません」
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そうならば、かつて、寛容と調和を政治方針にした総理大臣がいたが、何を言いたいのか外国人には理解できなかっただろう。
先日、うちの寺の総会に出席したところ、総代たちの案件にいちいち文句をつける長老がいた。
らちが明かないので、私は、「総代さんたちが一生懸命考えられたことなので、間違いないのではないか」、と言って収めた。
これは、まったく日本的な解決法である。
もちろん、彼らの考えたことが我慢できないほどひどければ、私も議論に加わったことだろう。

粉ひき風景
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