ある小説家が子供の頃の思い出を書いた文に「目」の話がある。

いたずらっ子たちが空き家に忍び込んだ。
雨戸が閉まっていて、中は真っ暗である。
階下を探検したあと、階段を上がって、2階のいちばん奥の部屋の押し入れを開けた。
すると、暗闇の中に、はっきりした「目」がこちらを見ていた。

みんなはわっと叫んで逃げたそうである。
実は、家内も同じ経験をしている。

イギリスにいたころ下宿で友だちと遅くまで話していたら、部屋の隅から1対の目がこちらを見ていた。
とてもきれいな外人特有の青緑の目で、怖くはなく、友だちが何も言わないので、その目については触れないで話しこんでいたらしい。
やがて友達が帰って、目もいなくなり、忘れていたら電話が鳴った。
先ほどの友達から電話があって、「壁に目があってけど、あなたは気づいた?」、と言った。
その友だちも、ずっと目があるのを知っていて、帰ってからも、どうしても気になって、電話を掛けてきたらしい。
その場所に穴などなかったので不思議だった。



そのアパートは、ユダヤ人の老夫婦の家で、とてもいい人で、鉄枠の入った堅牢な扉に守られていた。
家についていた霊が住民を守ってくれていたのかも知れない。

話は外れるが、そこの住民は個性的で、恋人をとっかえひっかえする女の子や、猛烈に勉強するけれど覚えが遅くて人のいい男の子など、楽しかったらしい。
その老夫婦は、毎日、家内をお茶に誘ってくれて、娘扱いしてくれた。
日本人らしく、たまに旅行先からお菓子などのおみやげを買って帰ったら、とても喜んでもらえたと言う。

<近日中の運勢>
じっと我慢が必要なときもある。逃げたらもっと悪くなるかもしれないときはその場でじっと待って、悪い波をやり過ごさなくてはならない。悪運に耐えることができたらしめたものである。やがて人の多い場所に出て、それまでの経験を生かすことになる。

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