最近もっぱらTwitterで事が足りていたので、こっちに書き込む事がなくなってしまっていました。
申し訳ないです。
4月は忠臣蔵に出演させていただき、いろいろな勉強をさせていただきました。
今月は
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こんな格好して父の手伝いをしておりました。
来月はお休みですが、7月に国立劇場にて毛抜に出演させて頂きます。
初めてのお姫様役なので至らないところだらけですが、精一杯演じさせて頂きます。

Twitterの方はちょくちょく更新していますので、そちらも御覧くださいませ。

本日を持って高校生という肩書きがなくなりました。


これから社会人として頑張っていきたいと思いますので、応援の程よろしくお願いいたします。

皆様御存知かと思いますが先月23日、私の祖父、中村雀右衛門が芝雀おじさん夫婦、母、兄、京屋一門のお弟子さん、私に見守られながら眠るように息を引き取りました。

 母、兄と3人で祖父の寝ている病室のベット越しに会話をしていたらいつもはニコニコしながら入ってきてくださる看護師さん方が、なんとも言えない顔をしながら部屋に飛び込んで参りまして、その顔を見て状況を把握いたしました。それまで、軽い発作のようなものが起きていたのですが、それも落ち着き、いつもの調子になったと思った矢先でした。本当にいきなりでした。残念ながら、父は大阪で芝居をしていたため、最後には間に合いませんでしたが、その日のうちに一度帰って参りました。


 僕は祖父のことをダーダと呼んでいました。理由は簡単でございまして、ダーダは「おじいちゃん」などと呼ばれるのを嫌っていました。なので小さかった僕達に「ダディ」と呼ばせようとしたのですが、いつの間にかダーダとなっていました。ダーダ以外の呼び方では「大パパ」と母や姉は呼んでいました。


 私生活でも、数々の伝説を残してきたダーダですが、最後の最後まで伝説を残して行きました。まず、命日なのですが、平成24年2月23日午後4時前です。私の父の誕生日が昭和24年2月23日。しかもほぼ同じ時間だったそうです。これだけでもすごいのですが、雀右衛門の弟子の中で一番若い京三郎さんは2月は大阪だったのですが、稽古中に怪我をしてやむなく東京に帰ってきていました。また、生前、ダーダととても親しくしていて、一緒にスペインに行くほど仲の良く、自分の葬儀はこの人にと言っていたお坊さんが、23日に偶然東京にいらっしゃったのです。普段は能登の方にいらっしゃるそうです。こうして、必要な人物を最後に集めてしまうのは本当にダーダらしいです。


 一番記憶に残ったのは告別式の日でしょうか。閏年の2月29日。雀右衛門人生最後の大舞台の日、まさかの雪。皆様はどう思われたかわかりませんでしたが、身内では今でも笑い話です。最後の最後まで美への追求を怠らなかったと。


 また今度、ダーダが生きていた時の話でもしたいと思います。


 最後に、感想というとおかしいですが、僕の思ったことを素直に言いたいと思います。


 「最後まで雀右衛門だった」

 理由は後日。長文失礼いたしました