太田龍 X 早見慶子ロング対談 未来への遺言 | akazukinのブログ

akazukinのブログ

「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

太田龍
未来への遺言



2011年がスタートした。
元旦の関東地方は穏やかな1日だったが、2012年へ1年近付いたわけである。

早見慶子氏の責任編集超過激言論マガジン「イチゼロ」世界書院の創刊号から
太田龍氏の貴重な最後の対談(第一回)を読み、その一部分を紹介したいと思う。

対談は4回ほど続くらしいが、第一回だけでもかなり長く読み応えがある。
早見氏が新左翼であったという事から、左翼、右翼の話から始まり、少年時代からフォトンベルトまでと、かなり幅が広い。

「太田龍さんのように本質に切り込むタイプの人はマスコミから排除されてしまう。」と早見氏は言う。

2012年も近付いて来た事だし、

2012年のアセンション問題(p71)宇宙の創造について
この部分もおもしろいと思われたので引用したい。

太田
 そのフォトンというのはね、アイクはほとんど意味がないと言っているんですけども、私が考えるとね、フォトンというのは光子でしょ?それはね、全然話になりませんよ。
光の粒子というのはね、それは何なんですか?光はどこから生まれているんですか?それが問題なんですよ。

ところが、光がどこからどのようにして生まれるかということはね、現代の西洋の科学者、その他の学者などがまったくわからないというか、知らないというか、その問題そのものが見えないと言うか、そういうふうなことになっているんですよ。光はどうやって生まれるのか?「創世記」によるとね、全知全能の神が光あれというと光がばーっと出てくるなんて言って、そんな話は都合の良いように作っているだけで、何の解決にもなっていない。光がどこから生まれるか。これは非常に根本的な問題なんですよ。大昔の人は直感したんですよ。しかし、直感だけでは説明できないですからね。

 それで、私が今、考えていることはね、私が今、これでいいんじゃないの、と思っていることはね、つまり、宇宙の創造にはね、膨張エネルギーと収縮エネルギーと両方あるんです。ところが宇宙の膨張、収縮エネルギーというのは目に見えない。で、どうやってどうやって目に見えるようになるかというとそれはね、
収縮エネルギーが収縮して、その収縮のある地点に達すると物質化するんですよ。
収縮すると物質化する。そうするとね、物質と言うのは質量でしょう。その質量が出現すると、創造エネルギーが必然的に反応するんですよ。質量に対して。

つまり、反応するというよりもね、質量というのは引っ張るわけでしょ。なにか引っ張って取り込もうというか、食べようという力を発揮します。そうすると、創造エネルギーが質量に取り込まれる、食べられるというか。取り込まれるというふうになったその最初の段階で何が生じるかが問題です。そこで光が生まれるんですよ。

そこで光が生まれる。では質量が生まれて創造エネルギーが全て見に見えるものになるでしょう。創造エネルギーが質量に取り込まれるときに光になる。光は光るんですから、目に見えるものになるんです。その光というものが何かというのが問題なんです。どういうふうにして光が生まれるのか。光というのは創造エネルギーによって質量化されているのです。しかし、光そのものには質量はないのです。で、光というのは一秒三〇万キロで飛んでくる。

飛んで来るのは光の粒ですよ。しかし、この粒子には質量はないと物理学は言っています。質量がないけど質量があるかのように光子として宇宙を走っているわけです。この光が常にどのように変化するかというと、それはね、陰と陽の電子に分解するんですよ。で、対の陰電子、陽電子に分解するんです、光は。それは先の話があってね。それは私の解釈ですよ。これは一応仮説として十分成り立つんじゃないの、と思っているけど。こういうことをいまだかつて世界で説明した人はいない。光を説明した人はいない。で、フォトンベルトと称するものについて。その光のベルトというか、光子がたくさんこうあるというんでしょう。しかし光子がどこから生まれたか、何も説明されていない。


早見
 そこの説明が不十分ですね。よく言われている2012年のフォトンベルトの話はというのは眉唾という感じですか。


太田
 作り話ということです、それは。イルミナティは非常にたくさんの作り話を創作するんです。それはね、人々の意識を混乱させる目的でね、そう言う目的をもってたくさんいろいろな情報を創作し、注入するというか、ふりまくのです。そういうふうになっている。その目的が何かというとイルミナティがやろうとしているアジェンダに地球の人類の意識を集中させないように、地球の人類がそれに気が付かないようにするために逸らすわけです。

まさにその状況が熟して人々が覚醒しようとするとき、そこで強烈な力が働いてそれを逸らすようなものが出現するとアイクは言っているけど、これから地球の人類が覚醒し始めて、その覚醒の速度がだんだん高くなっているように思う、と言っている。それに対していろいろ仕掛けてくるんじゃないの。



ーーーー引用おわり。


膨張と収縮のエネルギー、創造エネルギーという三つの力の説明は、
なぜかグルジェフの宇宙論とも共通するところがあるように感じられた。

「奇跡を求めて」グルジェフの神秘宇宙論
P.D.ウスペンスキー著 浅井雅志訳 平河出版社

p131より 知識 存在 意識

我々は全宇宙のあらゆる多様性あるいは単一性の中でさまざまな現象を生み出している「基本的法則」を調べなければならない。
これは<三の法則>あるいは三原理の法則または三つの力の法則というものだ。

これは、分子から宇宙現象に至るまで、いかなる規模で、いかなる世界で起ころうとも、あらゆる現象は三つの異なった相対する力の結合あるいは交流の結果であるというものだ。現代の思想は二つの力、すなわち、力と抵抗、+磁気と-磁気、陽電子と陰電子、男性細胞と女性細胞、等々の存在と、現象を生みだすためにはこれら二つの力が必要だということは認識している。しかしこの現代思想は、これら二つの力でさえ、常にあらゆるところに見ることはない。第三のちからについてはいかなる意見も提出されたことがなく、またもしされたとしてもほとんど相手にされなかったのだ。

 真実の、厳密な知識によれば、一つないしは二つの力は決して現象を生みだす事はできない。
第三の力の存在が必要なのだ。なぜなら、第三の力を借りて初めて最初の二つの力は現象と呼びうるものをーーいかなる領域でもかまわないーー生みだすことができるからだ。
三つの力の教えはあらゆる古代の体系の根本である。

第一の力は能動的あるいは積極的と呼ばれ、第二の力は受動的または消極的、第三の力は中和的と呼ばれている。しかしこれは単なる名称に過ぎない。
というのは、実は三つの力はすべて同様に能動的で、それらが交流するときのみ、
つまりある瞬間における互いの関係においてのみ、能動的、受動的、中和的として現れるからだ。

中略

<絶対>の中での三つの力の調和という考えは多くの古代の教えの基礎になっている。たとえ同体的、不可分的三位一体、あるいはヒンドゥー教の三神一体、すなわちブラフマン、ヴィシュヌ、シヴァ等々。
一なる全体を構成している<絶対>の三つの力は、自らの意志と決断によって分離、あるいは統合し、そしてその接点において現象あるいは<世界>をつくりだすのだ。




なるほど、全ての宗教上の三位一体、三神一体、という考えもこの三つの力というところからきているのだろう。