刑務所から現れたエルンスト・ヅンデルの写真に熟考 | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

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Wednesday, March 03, 2010

Meditation on a photo of Ernst Zundel after he emerged from prison
刑務所から現れたエルンスト・ヅンデルの写真に熟考

by Michael Hoffman
  (マイケル・ホフマン)

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アウシュヴィッツ・ガス室懐疑論者、エルンスト・ヅンデル(右側)と、彼の弁護士、ハーバート・シャラー博士が、この31日、5年間で初めてマンハイム刑務所からヅンデルが出てきたのを出迎えた瞬間の写真について、批評家は否定的意見を出した。

我々は、それが素晴らしい写真で、本当に心を和らげてくれると思っている。これは、エルンストが逆境に屈しない証拠を写している  彼は愚痴を言わないし、苦痛を示さない。だがむしろ、彼の微笑んでいる表情から、人は生命の喜びを見るだろう。カナダでの独房監禁の2年を含む計7年の監禁の後、これは彼の精神の証明だ。また子供の時、彼の故郷プフォルツハイムに対し連合軍の焼夷弾ホロコーストを乗り切ったのと同様、やはり我々は忘れない。従って総てのことにおいて、彼は大虐殺(ホロコースト)の生存者だ。私は、広島と長崎での大虐殺(ホロコースト)の日本人の犠牲者の中に、似たような落ち着きと気高さを認めた。

この振る舞いは、アウシュビッツ強制収容所の精神生存者の人影のポスターの大勢(すべてでなくとも)の態度と衝撃的に正反対である。60年以上後でも、浮かぬ顔のポーズ、永久に呻き、泣き叫び、弱い者いじめをし、憎悪を噴出し、非難に指差すと同時に、新聞、雑誌記事、本、小説、テレビ番組を大量に放出し、さらにさらに、復讐を制度化した新しい段階の映画の体質をキリスト教以後の西側の構造の中に織り込んだ。

私はキリスト教以後(post-Christian)という。しかし、我々はウィリアム・シェークスピアにさえ無頓着である。きっと、「ヴェニスの商人」(Act 4, scene 1)のシャイロックへのポーシャの有名なスピーチは、現在、月並みな官僚には信用されない。それでも、ポーシャのことばの中に、正義の法規の下で、復讐を泣いて求める永遠のプリム祭(ユダヤ人の記念日)に雄弁な返答を我々の文化はもっている。ここでシェークスピアは、通常通りに問題の核心を的確に指摘した。アウシュビッツ以前の西側からユダヤ人を切り離している巨大な裂け目は、彼らの報復の安置のためと我々の慈悲的義務だ。

ヅンデルの残酷な迫害者は、歴史からなにも学んでいない。彼らの傲慢において、彼らが勝って、未来をコントロールして、編集することを確信している。彼らは刑罰を免れている政治犯を悪霊にさせ、収監し、苦しめることができると信じている。古代ローマ人は、初期のキリスト教徒たちである、フランスのカトリック新教徒(ユグノー)、ドイツのルーテル教徒(アナハブティスト)、ニューイングランド清教徒(クエーカー)、ローマカトリック教を忌避する同国人(英国国教会派)とソビエト(東方正教会)について考えた。それでも、その都度、歴史はやがて、ひどく抑圧された反体制者がこれまでより強い状態で出てきたことを教えた。

今日、激しい迫害と魔女狩りの最中に、多くの人々が未来を思い描くことが難しくなっているけれども、これも第二次世界大戦修正主義者の運命だ。この意味で、エルンスト・ヅンデルは、70歳なのに、過去にあるのではなく未来の男である。

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【翻訳:タドン】

マイケル・ホフマンの邦訳著書

■「フリーメーソンの操心術」
マイケル・A・ホフマン二世著、青弓社、1996

■「パレスチナ大虐殺(ホロコースト)」
マイケル・A・ホフマン二世、モーシェ・リーバーマン共著、太田龍監訳、成甲書房、2003