第二章 バビロン幽囚とパリサイ派(1) | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

世界撹乱の律法
ユダヤの『タルムード』

デ・グラッペ著、久保田栄吉訳編
破邪顯正社発行
昭和十六年(1941)十二月十二

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第二章 バビロン幽囚とパリサイ派


(1)


ユダヤ国民の歴史によると、彼等がその信仰する宗教に背反すると、その都度、必ず訪づれるものは他国から受ける侵略であった。そして此の敗戦によって国民に与えられる屈辱と勝戦国への奴隷化は彼等にとって忍び難き過酷なものであった。これによって翻然として覚醒し、再び真の神への奉仕に復帰することになったのである。


こんど(紀元前五八六年)の敗戦は、さきにモアブ人、アンモニ人、シリヤ人等が、聖地の高所に陣営を設けて、諸所を占領した時に比較すると遙かに大なる国難であった。今やユダヤ人は哀別離苦の涙をのんで祖国と袂(たもと)かれねばならなかった。征服者に引率されて遠き異教に移住することを余儀なくされたのである。俘虜として輸送されるユダヤ人に加へられる残虐は、実に言語に絶したものであったとバイブルに記述されてある。

元来ユダヤ国に於てモーゼの宗教が保持されていたから、バビロン幽囚の時代に於ても、ユダヤ民は此の宗教によって自分等の精神力の源泉を汲むことが出来たが、アッシリヤの平野に移住せしめられたイスラエル民は、疾(と)くから既に偶像崇拝に傾いていたので斯かる精神的源泉を欠いていた。此の分離した同胞なるイスラエル民が、自分の人種的特有性を喪失したに反し、ユダヤ民はかれ等の間に現はれた預言者等を中心として一層密接に、強固に一致団結したのである。此の時代の苦難こそ、ユダヤ国民の信仰をいよいよ錬成して彼等を祖先の宗教に復帰せしめたのである。


一般民衆の間に於ける此の純正信教の復興と並行して、バビロン俘囚は遺憾ながら、他の比較的幸福ならざる結果を生んだ。特にユダヤ民中の尤も教育ある人々は、其の宗教的観念と、征服者等の信仰との接近のために種々の誘惑を受けた。


一体バビロン人は、アッシリヤ人の如く、専ら好戦的な、他国民を奴隷化せしめることを主眼とするやうな国民ではなかった。かれ等の性格はあまり温和ではなかったが、しかし其の宿命的競争者たるアッシリヤ人ほどに残忍ではなかった。かれ等が、古代の風習に従って、征服せられた国民の残余を自国の領土に移住せしめた時でも、かれ等はアッシリヤ人の如くこれを奴隷にしなかった。ただ自国民の間に謂(い)はば、定着せしめたのである。例えば兵卒ならば征服前と同様に武器を持たしめ、農夫や職工ならば征服者の農耕階級に加はらしめ、祭司ならば賢人、占星術者、預言者等の仲間とならしめた。


バビロニヤには昔から哲学や史学を始めとし、天文学や神霊交通術に至るまで、当時に於て研究し得たあらゆる知識が極度の発達を遂げていた。これ等当代に於ける学問の栄光を遠く世界の各地に普及せしめていた学者等の間に、ユダヤの祭司レビ等は交ったのである。これが即ちバビロンに移されたユダヤ人等の運命であった。かうしてネブカドネザル王は第一回エルサレム陥落の時以来、ユダヤ国家の貴族の家庭から集めた小姓を其の側近に侍(はべ)らせたのである。後世の預言者ダニエルの如きはバルデヤの神官長となった。


〔傍註〕
オッペルト著『ハルデヤ及アッシリヤ帝国史』
レイノルマン著『最始の文明』
マスベロ著『近東諸国民の古代史』


(1)了