弱者救済の矛盾 心理療法家編
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n246630


警告はするべきかと思っていたが、問題だけ指摘して解決策が記載されてないと、不安だけ与えることにもなると思って、ずっと躊躇してきた。
ブログとかで、ある程度こうして下さい(情報拡散のお願いとか)という呼びかけの中に、事実として書いたことで一部出てしまったことはあったが。

他の知恵ノートに、たくさんアドバイスを送ってしまったので、それに関してもうちょっとはまとめた方が良いかと思って、概要だけでも書こうかと思った。

それに、最近はある大手新聞が、意図は救済ではなく経世会叩きの一環かもしれないが、かなり大きく紙面で、精神医療の問題点指摘特集をやったので、前よりは言いやすくなった。

 心理療法家さえ、主体を食いつぶす事に乗っかってしまっている現状

悪気や利益の追求としてだけでなく、こうなってしまっている場合もある


なぜかというと、結局最後は、自分で
と突き放しているが
そりゃそうだろう
所謂大衆や庶民の間では、親切な人や懇意にしてる人がいない限り、家族でもない限り、わざわざ人のメンタル面に関わろうとは思わないだろう。
人道はともかく、そのような状況があるから、元々の内因ではなく外的トラウマでメンタル面に問題を抱えた人たちは、自力でやっていく方が効率が良い、という場合もある。
そこに、わざわざ、お金を取って商売としてプロとして、やってるのに
最後は自分で では 何の仕事もしてないことになる。

自分で自主的に ができなくなっている状態 というのがある というのを習い それをできるように持って行く(仕事をする)のが、カウンセラーでしょ?

自主性主体性を奪われた人たちの、人間性の回復を試みるため、相手を一個の人格を持った人間とみなす対話を持って、その意思を尊重することにより、無くした主体性自主性を取り戻す手助けをする
という療法がカウンセリングのはず・・・なんだけどなぁ

だから、自分で というのはおかしいのだが
そのあたりが、もう既に矛盾しまくっている。

自分でできなくなっているから専門家のサポートをお金を出して受ける状態と言うのがある、というんが、もうそもそもわかっていない。

これでは、学校が教師のためにあるように(皮肉)
カウンセリングもカウンセラーのためにある 
ということになってしまう

君の為を思って という言葉ほど汚いものはない と何かのエッセイかの文章で書いていた少女漫画家(O島Y子さん)もいたが
貴方のために って
心理療法家 が楽するためやないのかーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
みたいな

言うとしたら、あなたのために生きて良いんですよ、主体的意思を持って生きて良いんですよ
それのサポートをしない療法家には、お金を払わなくて良いんですよ(行かないで良いということ)
ではないのだろうか?

しかし、長年抑圧されてきた人というのは、いきなり主体的意思を持って生きてよい とだけ 言われても、何が主体的意思なのか全く実感としてはわからなくなっている事も多い。
自分でものが選べなくなっているような状態もある。
だから、ある程度時間をかけて、自分で良いと思う方法や状態を、自分で選んでよいと、わかるようなリラックスした状態や環境を整えることも、心理療法家の仕事のうち!
しかし、実際はさまざまな思惑やさまざまな利害によって、被虐待者は食い物にされているという状況も残念ながらあると思う。

夫婦間DVは、DV法のおかげか離婚で女性が優位に立ちやすくなったせいで(DV法もその一環でもっと大きな流れだろうけど。外圧とか。)、お金が動くので、弁護士や他専門家も乗り出し、さまざまなことを語っている。
その中には上記のようなこともたくさん語られている!
悪用もされてるけど

自分で ができたら一番良いが それができないから専門家にお金を払っているのに 専門家側の人、またはその立場を思いやるような位置の人が
自分で
を言ったら、専門家の仕事や存在を否定してることになる

ものすごい パラドックス なんですけど・・・・・・・・


 自分のアドバイス 


選択が適当なのがなかったので「事実と違うかも」になりました。「こういう事実もある」ですが。読売新聞が少し前精神医療の問題点の特集を紙面でやってました。問題は医者だけじゃないと思います。ど

参考リンク:
http://archive.is/XnEdO


私はある国立大の神経科カウンセリングで心理テストもなしで「子供の自我を壊してない」だの「国会議員は大人だ」「恋愛するとか」など言われ説明を求めても「あんたと議論する気はない」と言われ大変ショックを受け


ショックを受けたことがあります。不適応症状で行ったのではなく「顔面神経麻痺」の麻痺が治ったけど眉が1mmくらい左右高さが違うとかで送られました カウンセリングは主体性自主性を取り戻すための療法だから、


支持や命令にあたるような事や高圧的態度は取らないはず、基本的には受容的でなければいけないはずなのに、このリンクにあるように。治療者側の転移や病的人格も感じましたが、信じてもらえないのではないかと


URL送ろうと思って忘れてました。適当なのがないので、自分ので、精神病院の事、親がやって行った事の証拠画像(貼紙)も。イギリスがうつ病に国策として取り組んだ結果投薬より認知療法主流に。余った薬は日本へ

参考リンク:
http://sky.geocities.jp/nanami061106/index.html



リンクは簀巻きにされ入院が今もあると特集でかいている読売新聞のです。精神医療と心理学は系統は違いますが、カウンセリングは精神科でも行われます。薬へ誘う為カウンセラーではなく精神保険福祉士が日本では増

参考リンク:
http://megalodon.jp/2013-0222-0240-34/www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=70048


長すぎる為自分でもノート書。要は環境要因が取り除かれて無さ過ぎる状況で療法云々しても始まらない。心理学からみると精神医療の間違いはもっと指摘できるはず。リンクは資格有心理療法士(カウンセラ)で被虐待者

参考リンク:
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/



これが中々探せなかった  頁内検索長期13件 24 病院はその人を普段から暴行していた親族に法的な保護者になるよう手続きを求めた虐待者が保護者の医療保護入院だからいつまでも退院できない

参考リンク:
http://desktop2ch.tv/hosp/1331028862/


管理教育やカトリック等の宗教教育の学校では、学校は教師の生活の為に存在してる。カウンセリングもカウンセラーの為にある場合もある。主体なんて認めない。前述のように矛盾多い世界。一人暮らしで親と絶縁で検索



途中で途切れたりなど、大変荒い書き方になっているので、また、もっとまとめた形でも、別ノートやブログで書くかもしれない。


 参考

弱者救済が弱者搾取になっていることに関しての参考

http://ameblo.jp/oooquree/theme-10053865616.html
テーマ:弱者や社会問題に取り組む側の矛盾--借金自殺は人権問題 親で自殺は・・・『一人暮らしで親と絶縁で検索』--

http://ameblo.jp/oooquree/theme-10054655279.html
テーマ:綺麗は汚い~自殺者は絶望して死ぬので無く--借金自殺は人権問題 親で自殺は・・・『一人暮らしで親と絶縁で検索』--

http://togetter.com/li/215876
弱者救済弁護士の問題点を改善しよう!~私のアパート返して~保全できないと嘘

上のtogetterは、私の知恵ノート↓一番下にも
悪質家賃滞納店子に悩む大家さんたちへ


自アメブロ「借金自殺は人権問題 親で自殺は・・・」内マトリョーシカ検索結果

マトリョーシカのような入れ子構造 無限回廊のような・・・

どこかでこれらを断ち切らねば!

日本は北朝鮮のような国 と言われてることとも関係あると思う。弱い者がもっと弱い者を叩く

http://www4.atwiki.jp/nihonjindakedo/pages/64.html
洗脳社会・豊かな北朝鮮・全体主義国家

自己破壊的になったり、自分が損するような事はしなくて良いと思うけど
攻撃性の向けどころ、方向性が違うから、どこかで方向転換しないとマズイと思う。

一番良いのは、攻撃性をどこにも向けない事かな
報復感情に支配された攻撃性に反応するんじゃなくて、もっと解決に繋がる事をすることかな
(報復感情や攻撃性に誘導する良くない療法家や法律家や活動家もいるかも。でもこれも難しいクライアント側がそれを言った時は無下に否定したり話を逸らしても良くない場合もあるだろうし)




今の社会の矛盾が噴出してる出来事だと思った 

それでその矛盾捌け口一番弱いところに向かった結果というか・・・ 

(中略)

理想を言えばお互いカウンセリングか何か受けた方が良いんだろうけど・・・日本のカウンセリングはあまりにも一般に普及してない国家資格を持ったカウンセラーなんて大学の教育学部の心理学教室くらいにしかいない。民間の病院のカウンセラーは大抵資格がなく保険診療外の治療として行ってる。 
こんな状況では・・・ 支配的カウンセラーや問題あるカウンセラーもいるし・・・(民間のにいるとは限らない。むしろそっちのがマシかも) 

理想を言えば、二人ともカウンセリングを受けて、落ち着いた状態で、訴えるかどうか考えて、できればえて、になるなり民事で賠償なりして 
その状態で、なお付き合いたかったり、結婚したかったりするなら、結婚すれば良いのではないかと。。。 

でも、まず告訴や被害届が受理されにくい状況を作っている警察の問題(警察の名称を悪徳業者応援団に!へのリンク)があるし・・・ 

矛盾のデパート  カオスよのお・・・



228 妹と姉と名無しさん 2014/01/20(Mon) 20:46:00
米216さん 
真面目に心配してたら、あれ?!ってなってしまうお気持ちはわかりますが 

そういう状況が、夫婦間で離婚の問題で揉めて、DVに詳しい弁護士かなんかが入ると・・・ 

あら不思議 

バン・クロフトなんかを持ち出し、心理的な支配、モラハラ、サイコパス(これは俗語だけど)的人格の人間、DV人格などと夫を定義し 
見事!離婚と慰謝料を勝ち取ったりすることもある 

モラハラがあった場合は、不貞も容認されるような妙ちきりんな理屈を持ち出し肯定したりする。 
夫婦関係が破綻してたから、不貞に走り、愛情がないのを縛るのはおかしいという理屈(もっと法律的な言葉で) 

この米欄に書いた手法は、妻の不倫隠しに使われたりもしてるらしいけど・・・ 

こういうスレを見ると、さらにどっちがどっちかわからない気分にさせられてしまった。。。 

米216さんが書くような性質の人は、今は少なくなってきたかもしれないけど、一般的に言って女性の方にその性質の人は多いかもしれない。 
自己決定権を奪われ抑圧的なしつけを受けてたり(親に従い夫に従い老いては子に従い、みたいな)すると、そうなるのでは?とフェミ学者は昔から指摘してきた。 

でもさらに考えると、世の中がっぷり四つに取り組む相撲の取り組みみたいな人ばかりではなく、緩衝材や潤滑油のような役割が必要なので、そのような要員にされてきたからではないのか・・・? 
という気もする。 

なんだかよくわからなくなってきたけど 
近代的自我とか、育ってる人の方が、日本ではおそらく少ないのではないかと思うので 
自我とかアイデンティティとかあまり持たない、よく言うと空気読み過ぎ周囲に気を遣い自分を合わせたり時には殺したりする人、悪く言うと優柔不断、自分の意見を持たない、など(病的になると境界例と言われる人かも) 

人に相談して相手を悩ませないなら、自我がなく優柔不断でも良いだろうけど、自分でも収集付かなくなってると・・・ 
本当は理想を言えば、コーチングとかのカウンセリングや、自分で本を読んで自分を見直してみるとかが良いのだろう 
けど、そうなってるのは、本人だけの責任とも言えない社会的文化的側面もあるかも。。。 

真面目に考えると難しいなぁ


--------------------------------------


難しくなるのは、心理的に支配されてきた人の心理的サポートや救済や治療にあたると

治療者や、サポートすべき仕事の人(NPOなど)や、行政の公務員や、弁護士などの専門家まで

支配的になったり、搾取的になって利を貪ってる場合も、残念ながら、事の性質上、あるのではないかと思うので・・・

弱者救済は弱者搾取というマトリョーシカのような、弱い者がもっと弱い者を叩くだったり、弱い者なので搾取する、だったり、搾取され続けて習い性になってて、気づかないから、自分も搾取するだったり・・・
そういう色んな思惑や利害や、さまざまな邪な欲望搾取の対象とされている構造的問題があるのではないかと思う。

まとめサイト米欄では、何度も指摘する米があった 『ストックホルム症候群(ストックホルムシンドローム)』 これは、長年支配的抑圧的扱いで萎縮し、心理的問題を抱えるに至った人と、治療者や、弁護士などの専門家の間でも、充分起こり得ると思う・・・・・・・・・

まあ、程度問題で、勝てば官軍という言葉もあるように、強いものに対し肯定的な捉え方をする心理状態というのは、ある意味健康かもしれない(体は健康)

自分が自己犠牲を強いられ、それで問題が起こっているのに、さらに犠牲を強いているものを肯定的に捉えてしまい、さらに破滅的破壊的な方向に進んでしまう・・・というのは問題だけど

ある程度、時の権力者に阿る(おもねる)考え方をするのは、当たり前の事


だから、程度問題でもあるので、これも一概に何が問題とか悪いとか、決め付けられる問題でもないと思うけど・・・

---------------------
---------------------
引用終わり

このように、無限回廊的問題でもあるけど
上にも書いた攻撃性をどこにも向けない事報復感情に支配された攻撃性に反応するんじゃなくて、もっと解決に繋がる事をすることや
見方を変えると、ポンと出られるかもよ! という問題でもあると思うので、
治療者は、その啓発を手助けすべきだと思う。
自力で というのは、自立ではなく孤立を促している。
いくら大衆や庶民に多くても、専門の治療者がそれではおかしい。
基本的人権を理解していない。権利侵害
クライアントに甘えている。一種の搾取

追記
ポンと出られるかどうか、わからないけど、2年位前の自分のアメブロに、こんなのがあった。
戦わずして 卜伝
http://ameblo.jp/oooquree/entry-11234033645.html

私が大量にアドバイスを書いた知恵ノートも、よく読んでみたら、似たような事も偶然書いていた。
でも似て非なることのようだけど。
この人が書いてるカウンセラーの宣伝というのは、無資格はもちろん、もっと商業主義的なものではないだろうか・・・?
そこにこの人は無料でアドバイス?書いてるのか
アダルトチルドレンは鰯の頭でも書いたけど、不安産業は多い。そういうのいちいち個別に批判しても仕方ないくらい。
知恵ノートだったし、商業目的でもなく第三者的立場で、本当に勘違いで書いているようでもあったので


ついでに、心理学カテゴリにしたけど、心理学も使いようによっては、精神医療の現状より酷い使い方もできる危惧はある世界
臨床心理もいくつかあるかもしれないけど、一応手当てやケアを心がけている面はある。

元々の心理学は、通常の公序良俗からしたら、うがった見方をする部分もある。
それは、学問的に見ると、そうも見える、という事で、押し並べて全ての人に、その考え方を当てはめたり、まして決め付けたりしては不味いという事を、指導教官は、重々言って教えないといけないのではないか?と思うが・・・・

今、検索して見ても、あまり悪く書いてあるところは出ないが
いくつか、五大欲求についてなど書いてあるところを

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/2001/tekiou.html 新潟青陵大学の関係者の頁

欲求と適応の心理学欲求不満の解消法(心理学案内こころの散歩道)


http://www.choicetheory.jp/about/about1.html 選択理論は比較的新しい これ自体は悪くないと思う

カウンセリングサービス心理学講座「満たされない思い~欲求(ニーズ)の心理学」 

これは、ちょっとうがった見方かも。大学とかじゃなく民間のだけど

マズローの五大欲求 google検索結果

今は、取り立てて、うがった見方や、失礼な見方をしてるのは、見つからなかったけど
こういうので、よくあったのが
五大欲求の下位の欲求が満たされてないのを、上位の欲求に摩り替えてる みたいな物の見方 とか

合理化 している と何でも言うとか

心理学で言う 合理化 とは 最適化のことではなく 正当化 のこと
合理的な考え方をする という意味でなく、無理やりに、合理的に思えるような理屈を引っ張り出して来ている という状態を指す

それで、合理化 合理化 と責める

しかし、正当か正当でないかを、決める基準がはっきりしなかったり、曖昧であったり、恣意的であったりすることもある。

合理化合理化言ってる方が、合理化してたりすることも・・・

治療者の逆転移ということもある世界だから・・・


五大欲求ではないけど、うがった見方かもしれない
これだと、劣等感は複合的原因としつつも、そのせいで不登校 というふうに解説
でも、だいぶ前から不登校やフリースクール→大検も選択のうち、というふうになってたり、保健室登校が認められたりしている

上のリンクの前の方には、もっと色々と出ていて、まあほどほどに緩やかに秩序を保つため、分類してる感じもするけど、悪い事を書いているわけでもないように見えるでしょ?

でも、でも、実際はw
初期の精神分析医たちは、患者と性的関係を持つ事に躊躇しなかったり・・・

http://eiganomori.net/article/298781938.html  映画「危険なメソッド」

wikipedia ザビーナ・シュピールライン

始祖たちの疚しさ - 精神分析解剖

さらにフロイトは人間の精神をあまりに性的な事柄に結び付けすぎたと思われる。夢に出たナイフでもペンでも尻尾でも彼にとっては男根の象徴でった。フロイトはほとんどあらゆる人間の精神、意識を性的に捕らえようと欲した。フロイトを変態よばわりする悪口は当時から、そして彼の理論が古典(つまり既にそのままでは使用に耐えない)となった現在も言われることである。


うさんくささの原因といえばフロイトと並ぶ巨頭の一人、ユングを忘れてはいけない。(彼は分析心理学の創始者ではあるが、当サイトでは便宜的にユングも精神分析家の仲間として扱っている。2つを分けようとすればあまりに複雑になってしまうため容赦してもらいたい)

私は前述の彼のプロフィールにおいて、若きユングが女性患者と性的関係を持った理由として、非常にユングに好意的な立場の意見を採用し患者に深い同情と献身的な態度で望んだため、女性患者の心的世界に巻き込まれた云々と書いた。しかしそのような理由付けはお笑い種だろう。カウンセラーが患者と恋愛的肉体的関係を結ぶことで、患者の精神に回復傾向がみられるという例があるということは私も否定しはしない。ただし、自分の患者であり研究対象でもある相手とたびたび性的関係を持つ医者や学者を信頼しろと言われても、無理な話だと思うのである。彼を慕い誘惑した降霊術師の従妹ヘリー。ユングは本当に彼女から一方的に誘惑され恐れを抱いたナイーブな青年だったのだろうか、そういう下司の勘繰りもしてみたくなる。

笑える事に、こんな精神科医のページも(認めて批判してる)
精神分析 その2 psychoanalysis
 実際、当時の分析家はけっこうひどいことをしていて、ちっとも超人っぽくはない。ユングやジョーンズやフェレンツィといったフロイトの弟子たちは、ことごとく自分の患者やその家族と性関係を持っていたそうだし、フロイトもそれを知りながら別に厳しく叱責した様子はない。たとえば、ユング自身から、若く美しい女性患者ザビーナ・シュピールラインと関係を持っているという告白を受けたフロイトは、こう書き送ったという。
「これらの女性が私たちを魅了して、最後には目標を達成するやり方は、心理学的にあらゆる点で完璧であり、第一級のスペクタクルを見ているという気がします」
 女性側が誘惑したせいだと言わんばかりである。これでは、ほとんどセクハラおやじの言い訳のようではないか。
 また、あるときフロイトは、自分の患者の手術を友人の耳鼻科医フリース(この怪しい耳鼻科医フリースとフロイトの関係もなかなかおもしろいのだけど、それはまた別の話)に頼んだのだが、フリースは手術の際ガーゼを鼻の中に置き忘れ、それが原因で患者は大出血を起こしてしまった。しかしこのとき、フロイトはこれを治療者の関心を引くためのヒステリー性の出血だと解釈して、友人を擁護したという(以上のエピソードは、岡野憲一郎『新しい精神分析理論』からとった)。
 古典的な分析では、治療を成功させるためには、治療者はあくまで超然としていなければならず、自分の非を認めてはいけないようなのだ。これじゃ単なる独善である。
 また、フロイト理論を忠実に適用するなら、「性的虐待などでトラウマを負った患者が精神的自由を獲得するのは、本当は自分がそのような目にあうことを望み、それを楽しんだのだということを認めることができたときだ」ということになってしまう。そして実際フロイトは、ドラという少女に対し、そうした治療を行っているのである。



あんまり真面目な回答もないようだけど、こんな知恵袋も
ジグムント・フロイトはエロエロ親父だったのですか。




参考検索結果

http://archive.is/Tc0EC 「心理学 コンプレックス 5つの」
http://archive.is/len9I  「心理学 コンプレックス 合理化」
http://archive.is/wHFhl 「心理学 合理化」
http://archive.is/n3D7r 「心理学 欲求」
http://archive.is/qKqhx 「ユング 患者 恋愛」
http://archive.is/U9QSn 「ユング 患者 恋愛 フロイト エロ親父」