基本的人権は、娼妓解放令と何処が違うのでしょうか」また無くなっていた。。弁護士の回答あったのに
http://ameblo.jp/oooquree/entry-11740406565.html

これを見て思い出した

鬼平とは、鬼平犯科帳のこと
そのなかで、こういう話があった。

あらすじ書こうかと思ったけど、面倒なんでここで見て下さい。(ネタバレあり)
http://kotatuneco.blog59.fc2.com/blog-entry-1341.html

「親もいらねば、あるじもいらぬ。お前さえいればそれでいい」
で検索したら、もっと出るかも

http://archive.is/UWMlq 鬼平犯科帳 岩下志麻 google検索結果保存

上のブログには、武士と町人だから、とあったけど
そうじゃなくて、武士と盗賊団の長だからだと思うw

鬼平は、若い頃、このドラマの時点の息子と同じように、「武士なんて嫌いだ!立派な侍なんてもっと嫌いだ!!」とか言ってたらしい。
息子は言ってただけじゃなくて、乱暴狼藉に近いこともしでかしてたようだけど・・・




しかし、実際はっ・・・・!!!

高尾という人の話は、伝説も織り交ぜられていて、2代目高尾の仙台高尾は特に、事実ではない証拠が出てくるので伝説だろうと思うが

http://ameblo.jp/oooquree/entry-11740406565.html
基本的人権は、娼妓解放令と何処が違うのでしょうか」また無くなっていた。。弁護士の回答あったのに

上の参照


仙台高尾の話が創作と言われてるのは、江戸で殺されたはずの高尾の墓(と言われている墓)が仙台にあり、よく調べてみるとその墓は、伊達綱宗の側室の墓で、しかもその時期の江戸の三浦屋には高尾という名の人はいなかった、とわかるからだそうです

http://lib-www.smt.city.sendai.jp/localdata/miyagino_kyodoshi.pdf
仙台市図書館資料 要説宮城の郷土史 
9. 伊達騒動(寛文事件)に関する図書資料
>荒町仏眼寺の「高尾の墓」というのも、実は綱宗の妾椙原品の墓である。

荒町仏眼寺の「高尾の墓」google検索結果
http://archive.is/2GGKY
高尾太夫というのは、代々受け継がれた名妓の名前で、中には伝説的な創作上の人物も混じっています。

高尾太夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B0%BE%E5%A4%AA%E5%A4%AB

この中の二代目が仙台高尾と言われている人です。
この人物は創作だと思います。
伊達騒動を素材に色々な物語が創作され、その中の1つですが、庶民がどうしてそのような話を好んだかというと

武士より武士らしく死んで行った存在

だからではないでしょうか?

武士ではないのだから、そんな死に方をする事も無いのに、と自分は思ってしまいますが
その頃は、浄瑠璃でも歌舞伎でも、心中物が流行ってたし、江戸時代の閉塞がそうさせてたのだろうし、その元になっている武士階級への批判や不満や様々な思いが、この話が支持された理由かもしれないとも思います。