私は、薬害と直接関係無いし、この先も投薬治療や、減薬相談する事も無いので、あまり口出しするのもどうかとも思う。
両方とも直接知ってる人でもないし。

でも、U医師とR医師両方の批判や問題点を、ネット上で目にする事はあるが

U医師を批判と言うか罵っている(^_^;)人たちは、R医師を強烈に支持している人たちが多いような・・・
というより、それしか見ないような

問題が無いことも無いのかもしれないし、実際どうなのかは確認できないので何とも言えませんが。


一方R医師は、某巨大掲示板で、薬の出し方について怒りの書き込みがあったり、人格的にもU医師に負けず劣らずの批判もある。

薬の出し方について、気になったので、ジャーナリストの人なら、もっと公平で中立な目で物事を見ているかと思ったので、聞いてみようと思ったら、コメントが載らなかったか載ったけど、返事が無かったかで、次から全く反映されなくなったのだった。。。

悪気が無くても間違う事もあるし、完璧な人間はいないので、間違う事もあると思う。R医師の問題を正せてこそジャーナリスト!ではないのだろうか?

その頃はネットカフェにいて、半壊にされたアパートの事や、役所の事で拡散してほしい事もあった。

そのような事も書いていたような。

R医師は、功績もあると思うのでそれは認められて然るべきだと思う。

このライターの方にも、批判的と言えば批判的、挑戦的と言えば挑戦的な書き方も、しました。最初に。
それは、なぜか載ってるんですよw


精神医療に限らず、対処療法中心の現代医学・・・とか言われちゃって、西洋医学のバラバラさより、ホリスティックな東洋医学!と言う声も。

これは、医学だけのことじゃなくて、ジャーナリズムでも同じではないのだろうか?
「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」
と言う言葉は、後世の創作かもしれないけど、真理だと思う。

ジャーナリズムというのは、如何に格好良く現代社会の問題を切り取るか、如何にうまく批判するかではなくて、ジャーナリズムが無くて良いような状態を目指すのが、本来的な目的ではないのだろうか?

社会に対し、義を持って何かを述べたり表現したり、時にはその形が批判として現れたりするのだろうけど、根底に義がある(と言う建て前かもしれないけど) あるはずですよね?

その義が書くことにしか適用されず、書くことしかしない、できない、という状態が普通のジャーナリストだとしたら、ジャーナリズムも全体が見られない偏狭な対処療法の罠に陥っているのかもしれない。