戦う●●さんを影ながら応援、という言葉を吐かれたが、これはサード虐待(セカンドと言うより間接的なので)とし て、問題提起出来ないだろうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1186062536

http://megalodon.jp/2012-0422-1927-07/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_etail/q1186062536 (java script を止めると見られる)

戦う●●さんを影ながら応援、という言葉を吐かれたが、これはサード虐待(セカンドと言うより間接的なので)として、問題提起出来ないだろうか?(本を出している人ではありません。)(さらに補足 質問サイトでではありません)

ある犯罪被害者の方に、この言葉を書かれ、大変ショックを受けた事があります。 それ自体は人格攻撃や誹謗中傷に単独ではならなくても、状況によっては問題にされる事もあります。
圧迫面接と言う 言葉もあります。状況によってはただの質問が圧迫している事や人格攻撃している事にもなります。
この時は、ネットカフェに避難した状態で、明日をも知れぬ運命でした。 とても戦えるような状況ではないし、私は戦う自分を応援して下さいとも言っておりません。
この方に直接的な救済を求めたわけでもありません。検察審議会について質問したい事があったのと、ネットを使って 呼び掛けたかった事があったので、それについての任意の協力を求めている状況であるという説明は書いたかもしれ ませんが、強制ではありませんとも書いていました。
ずっと前にある政党の当時の県議に、「弁護士を探して親と戦え!」(弁護士紹介は出来ないか問うと、ここに弁護士 は居ないと言われた)と言われた事もあり、これが政治家と言うものなのだと思いましたが、その人でさえ「戦え」と 言ってたのに、それも言わず「戦う」と決めつけて来るのは一体何なのでしょう?
「本当の弱者は弱さを主張出来ない、弱味につけこまれる可能性がある。弱者というポジションが取れたら、それはも う弱者ではない。」と思ってましたが、これ以上の皮肉は無いような出来事に大変ショックを受けたのでした。
日本は残念ながら、成熟した相互扶助の概念に基づく民主的な社会というものが、出来上がって無いのではないかと思 います。大正デモクラシーと言うものはあったものの、武装蜂起した市民が革命を起こし民主主義を手に入れたわけで はなく、アメリカからプレゼントされた民主主義しかありません。
だから人の意識は江戸時代と変わってない部分もあるのではないかと思います。 社会が行き届いて無くても、それ以外の救済策がある場合もあります。
親から逃げている人たちの情報交換や弱い者がもっと弱い者を攻撃する叩きが行われているスレもあり、潜在的には 困っている人はいるはずなのに、具体的な救済策は行政にはありません。
ある犯罪被害者の場合は、傷ついた被害者が何をして欲しいかどんな支援が必要か講演する人も居ます。私に「戦う ●●さん」と書いてきた人もしてました。(講演は他の人もしてます。有名な本を出した人もしてますが、その方ではありません。講演と言うとその方を連想してしまう人が多いかもしれないので補足しました。)
概念として存在する権利でも、それがすぐに使える形になっているとは限りません。国家は国民の人権を守る存在で、 国の

補足
概念として存在する権利でもそれがすぐに使える形になっているとは限りません。国家は国民の人権を守る存在で、国 の出先機関である行政は直接的に市民だったり区民だったりの人権救済をするのが職務のうちのはずですが、そういう 意識に基づいてDV被害者救済機関も設置されてるはずなのにやっている公務員たちに意味がわかってない人もいるの が現状です。 続き↓
全文http://sky.geocities.jp/oooquree/hosoku0421.html 以降の補足も

戦う●●さんと書いた人は、質問サイトの人ではありません。