ヤフー知恵袋より抜粋、一部改変(プライバシーのため)
(質問者)神聖ローマ帝国は、神聖でもなければローマでもなく帝国でもないというのは本当ですか?
(ベストアンサー)これまでの回答者の回答はAさんとBさんを除いて、ボルテールが18世紀のフランス知識人という時代的制約の下で発言したこと、
回答する自らも、現代日本人という時代的制約の下で回答している事実を故意か無意識かは知りませんが無視しています。
何故かというと、神聖ローマ帝国は一般的に962年から始まり1806年まで続いた国家であり、その間にヨーロッパの在り方も随分変化した以上、帝国も変化しています。
つまり中世の帝国とボルテールの生きた18世紀の帝国の在り方は異なるのであり、ボルテールはフランス啓蒙知識人から見た18世紀の帝国に関する所感を述べたに過ぎず、中世の帝国については述べていないのです。
同様にCさんやDさんも「寄り合い所帯」だから帝国ではないという現代日本人の帝国観を述べているに過ぎませんし、Eさんも「古代ローマが帝国なら、中世にローマを名乗った国は帝国とは言えない」と、古代を基準にして中世の帝国を判断しているに過ぎません。
つまりここに挙げた人達は何れも、中世に属するものは中世(の基準)に即して理解する、という近代歴史学の要諦を踏んでいないのです。
では中世における「神聖」「ローマ」「帝国」とは何でしょうか?
「われわれを第一帝国と結びつけているのはその帝国主義でもなければ過ぎ去ったことの内容でもない。おそらく国家を永遠の秩序に結びつけようとするあの帝国らしさ、なのである。」
現代ドイツ人と中世及び中世に属する帝国との関係について考えたドイツの歴史家H・ハインペルの言葉が、如実に帝国の本質とでもいうべきものを表しています。即ち「帝国らしさ」がそれなのであり「帝国らしさ」を支える原理が「永遠の秩序」です。
「帝国らしさ」という言葉は、明晰であることを望む近代以降の学者が通常使う言葉ではありません。言うまでもなくハインペルも近代以降のーしかも洗練されたー学者です。
そのハインペルが「帝国らしさ」という学者らしくない曖昧な言葉を用いたことが、ハインペルの中世に対する誠実な態度の表れなのであり、それはハインペルが中世を現代ドイツ人も理解しうる中世の言葉で語ろうとする態度から生じるのです。
「帝国らしさ」中世の帝国とはまさしく「らしさ」で表されるような存在であり、その初期、つまり帝国が実質的に機能したザクセン・ザリエル朝では客観的な制度や領域を持ったわけではありません。この点が日本人に帝国を難解だと思わせる原因であり、いわば異文化理解に伴う難しさなのです。
では「らしさ」のイメージとはどのようなものか?今の私の理解から言えば先述した「永遠の秩序」キリスト教の神が全ての時間を救済の計画のために組織しうる可能性としての「永遠」であり、
神秘的に言えばグレゴリオ聖歌やバッハのマタイ受難曲を聞く時、あるいはニュルンベルクのゲルマン博物館に有る石彫の聖者像とそれを彫った石工の信仰を想像する時に想起される荘厳さ・気高さ・この世ならぬもの、これ即ち「神聖」でしょうか。
つまり神聖ローマ帝国とは本来全ての衆生を救済することを目的とする神政国家であり、この神政とは油を注がれし者 Christus Dominiとしての皇帝が持つ神の恩寵に由来するのであり、
その具体的な在り方は、按手により病人を癒し、畑の豊作を祈り、馬上から民衆に祝福を与え、シュヴァルツヴァルトの森からその姿を現し、不当に搾取された富・土地を本来の持ち主に取り戻させ、坊主の頭には牛糞を載せ、善き古き法を復活させる『皇帝伝説』のフリードリヒ1世に体現される民衆の守り神としての皇帝なのです。
この皇帝は上記のように民衆と直接の関係にある点で古い形を保つのであり、それが故に皇帝の前提であるドイツ王位は血統による世襲の対象ではなく部族の選挙により、帝国が法制に規定される後も選帝侯による選挙という形式は保たれるのです。形式上であれ皇帝は部族の第一人者であるのが中世の「帝国」なのです。
そして選挙されたドイツ王は中世人の歴史意識に基づきローマで戴冠することで皇帝となるのです。何故なら古代ローマ皇帝から帝権は最終的にドイツ人へ移譲されたのであり、さらに言えば移譲されるべきであるが故、帝国は「ローマ」帝国なのです。
あるべき姿こそ中世の真実であり、この点でも「願望」と真実は別であるとするEさんは、現代の基準を中世に持ち込んでいます。
キリスト教・古典古代・ゲルマンの部族的伝統、これら複数の要素が「神聖」「ローマ」「帝国」を形作り、これらの要素は客観的な制度ではなく目に見える儀式―塗油の礼―からもたらされる恩寵や伝統などによって支えられました。
それ故、恩寵による神授王権と伝統の呪縛から解き放たれた理性を持つ18世紀のボルテールが「神聖」も「ローマ」も「帝国」も理解する意志を持たなかったのは当然です。啓蒙の人ボルテールはこれらの古代・中世的な要素を否定する立場にあったからです。
ボルテールは理性によって世界を把握しようとした人です。
その限りにおいて非理性的なものが紛れ込む歴史は二義的な意味しか持ちません。
しかし日本人は理性を基準に生きている訳ではありませんし、理性万能が20世紀になって神秘主義を復活させたこと、そこからもたらされた破滅的な結果も知っています。ですから私達がボルテールを基準に帝国を見る必要はありません。
むしろ「帝国らしさ」という言葉で、これまでの明晰さを旨とする諸学問からこぼれ落ちたものを救い出そうとするハインペルの態度こそ、私達が学ぶべきことは多いと言えるでしょう。
それは日本の文系と言われる学問がその有効性をしばしば疑問視されることからも明らかです。日本の文系学者は西欧の学問の輸入にその努力を費やし、自身の足元に有る「らしさ」私達の生き方を規定する「世間」と呼ぶものに目を向けようとせず、結果として学問は綺麗事・建前となっているからです。
学問を役に立つものにするためにも、私達が「神聖でもローマでも帝国でもないというのはあっているのですよね?」という理解に陥りがちな「神聖」も「ローマ」も「帝国」も中世のある時期には確かに存在していたのだ、という事実を中世に即して観察せねばならないのです。
補足します。
私の回答を「難解だ」ともし感じられたのであれば(私の理解不足を別として)その原因は中世ヨーロッパという時代が現代日本人にとって難解であるが故だ、と申し上げます。
つまり日本人から見てヨーロッパは違う文化圏であるが故に本来理解しにくい地域なのです。それを理解しているかに感じるならば、それはヨーロッパが同時に日本人も理解しうる文明を持っているからに過ぎません。
つまりヨーロッパの文明だけを見てヨーロッパを理解したかに感じる人が多いのですが、そういう人はヨーロッパの文化を見ていない可能性があるのです。
日本とヨーロッパの文化が異なる故、理解しにくいという点は時代にも当てはまります。現代と中世は異なる時代故、本来理解しにくいのであり、それを数時間の世界史の授業で理解できると思うのが無理なのです。
つまり異文化理解に伴う難しさは、異なる時代を学ぶ際にも生じるのだ、という事を御理解下さい。